プロフィール
木下空のプロフィール

木下空の自己紹介
木下 空(きのした ひろし)
ビジネスメンタルトレーナー
職場性ストレス/組織マネジメントの専門家
株式会社ライフギルド代表取締役
元国営企業に17年間在籍。
派閥や忖度が渦巻く組織で、管理職として300名以上をマネジメントし、
重大アクシデント、人間関係の悪化、チーム崩壊といった修羅場を何度も乗り越え、
「成果に繋がる行動設計」「人間関係の立て直し」「チームの活性化」など、
現場で数多くの問題解決と組織改善に取り組んだ経験を持つ。
これまで会社員・管理職・起業家・経営者など、1500名以上を支援。
職場のストレスや人間関係の問題、成果が出せないスランプに悩む方へ、
心理技術と現場知見を統合した「実践的かつ本質的な解決策」を提供。
売上アップ・転職・独立・人間関係の改善など、
あなたの「理想の働き方」を実現するサポートをしています。
まずは、公式LINEまたは体験セッションでご相談ください。
来歴:管理職時代の挫折と再起
20歳で新幹線清掃の会社に
契約社員として入った。
その当時、私はうつ病だった。
うつ病の感覚を一言で説明すると、
「自分の家族の葬式が毎日続く」である。
心が死んでいて、感情も消え失せて、
何もない。
そういう状態が何年も続いていた。
高校2年の時だった。
クラスメートの数人から、
すれ違うたびに
「気持ち悪い」と言われた。
最初はムカつく元気があったが、
それが2ヶ月、3ヶ月と続いた頃、
授業中に汗と震えが止まらなくなった。
好きだった子にも「死ね」と言われた。
ある時、完全に心が折れた。
逃げるように不登校になり、
40日間家に引きこもった。
そのままずっと引きこもっていても
おかしくなかったが、
幼馴染に強引に引っ張り出してもらい、
なんとか復学した。
しかし、うつ病に加えパニック障害、
極度の対人恐怖症も併発していた。
子供の頃は活発で、
誰とでも仲良くなれた自分が、
人とまともに会話もできない
廃人のようになっていた。
高校を卒業しても半年間引きこもったが、
母親から
「働かないなら出て行け」と言われ、
生きていくためにアルバイトを始めた。
しかし、全く仕事を覚えられない。
頭が、思考が働かない。
あり得ないミスを連発する。
誰とも、まともに喋れない。
色んな人から怒られ、馬鹿にされ、
最後にはいたたまれなくなって辞める。
この繰り返しだった。
あの頃、自分の人生は地獄だった。
最後に辿り着いたのが、
この会社だった。
元国営企業特有の、腐り切った体質。
地元の柄の悪い高校から
流れ着いてきたような連中。
人生で挫折を繰り返して
全てを諦めたような人達。
混沌とした、弱肉強食の世界だった。
ただ、廃人のような自分だったとしても、
ここで生き残っていかなければならない。
強くなるか、自分の処世術を身につけるか、
それしかなかった。
多くの理不尽に耐えながら、
気が付けば7年ほど経っていた。
仕事はずっと嫌だった。
それでも、いつの間にか慣れていた。
同世代で話せる同僚も増えた。
皮肉なことだが、
理不尽で殺伐とした環境が、
自分を鍛えていた。
自分の給料で生活できるようになった。
自分で家を借りて、1人で住んだ。
うつ病になってから、
初めて得た自由のような気がした。
「自分の人生は大失敗」だと、
ずっと思っていた。
ただ、大失敗なりに、
それなりの楽しさも
見出せるようになっていた。
食べたいものを食べる。
ゲームや趣味にお金を使える。
そうやって過ごしていく中で、
時間だけがどんどん流れていった。
ある時、ふと思った。
このままでいいのか。
本当に後悔しないのか。
人生について自問自答した。
ここにいるなら正社員を目指す。
それができないなら辞めて次を探す。
結論として、正社員を目指すことにした。
縁故採用と忖度しかないことは、
7年間見続けてきたのでわかっていた。
それでも、頑張ってみようと思った。
その時初めて、
「自分の人生は大失敗だ」という
呪縛から抜けようとした自分がいた。
決心してから、
色んなことを変えた。
仕事に責任感を持って、
真面目に取り組むようになった。
業務の改善提案を積極的に提出した。
自分にできることを始めた。
嘲笑する人間がいた。
「お前もゴマすり組か」という
目を向けてくる人間もいた。
どれも、気にしなかった。
応援してくれる人間もいた。
1年目の試験は落ちた。
「ああ、やっぱりな」というのが
最初の感想だった。
この会社が
縁故採用と忖度まみれなのは、
7年間で嫌というほど見てきた。
自分の利益しか考えない人間ほど
出世していくのも、ずっと見てきた。
だから驚きはなかった。
ただ、悔しかった。
このままでは終われない。
終わりたくない。
自分でも不思議なくらい、そう思った。
次見てろよ、と思った。
2年目の試験に合格した。
「自分の人生は完全に失敗だ」
「自分という人間は完全な失敗作だ」
そう思って生きてきた。
その自分が、初めて
大きな何かを手に入れた。
「こんな自分でも、
頑張っていたら良いこともあるんだな」
ただ、嬉しかった。
正社員になってからも、
周りは変わらなかった。
勤務中に漫画雑誌を読む人間、
ケータイでゲームをする人間、
パチンコや競馬の話で時間を潰す人間。
上の人間達が本当にクズのような
人間ばかりだったから、理解はできた。
ある意味マトモな感覚だった。
ただ、仕事をサボったり
不誠実に取り組むのは、もうイヤだった。
プロとして仕事をしたかった。
だから、仕事を
本気でやれる理由を探すことにした。
人生を諦めて生きた先に
後悔しかないことは、
引きこもり経験からわかっていた。
もう逃げたくなかった。
周りがどう生きようが、
それは自分とは関係ない。
真面目に仕事をする自分になら、
誇りを持てる気がした。
「仕事を通して、
自分を成長させよう」
メチャクチャな環境だったからこそ、
ここで成長できると思えるようになった。
ただ、自分のために仕事をした。
子供の頃、家族で新幹線に乗って
東京ディズニーランドへ行った記憶がある。
あの時の新幹線は、特別な乗り物だった。
旅の始まりだった。
車内で並んで座る親子連れを見ると、
その記憶がよみがえった。
この人たちの旅が、
少しでも気持ちのいいものになるように。
そう思いながら、仕事をした。
32歳の時、
中間管理職昇進試験の制度が新設された。
それまでは試験などというものはなかった。
人手が足りないとか、
タイミングが合ったとか、
そういった曖昧な理由で抜擢される仕組みで、
管理職の数はいつも足りていなかった。
頑張って目指したところで無理だ、
という空気がずっとあった。
潮目が変わった、と思った。
「ここにいる間はベストを尽くす」
7年目にそう決めていた。
この会社は自分の忍耐力を鍛えてくれた。
待つこと、機を伺うことを。
チャンスがあるならチャレンジする。
迷わず、試験を受けることにした。
家では集中できなかったから、
近所のモスバーガーでずっと、
昼から夜まで居座って勉強した。
試験の結果が出た。
受かったのは、
「ごますり要員」として
名の知れた50代のおばちゃん、
ただ1人だった。
足が悪く、助けがいるような人だった。
仕事でほぼ役に立たないことは、
現場の人間全員がわかっていた。
30代、40代で
現場を回している社員達は全員落ちた。
「真剣に努力して、この結果か」
今まで、この会社で
うんざりする程見てきた光景だった。
私は、所長室に1人で乗り込んだ。
これほどの怒りを感じたことはなかった。
現場を回している人間が全員落ちて、
仕事でほぼ役に立たない
ごますり要員だけが受かる。
理不尽に対する義憤が、
身体の底から込み上げてきた。
20歳からこの会社でやってきた
プロパーとして、
言うべきことは言おうと思った。
所長の目を見て、言った。
「どういう基準で、決めたんですか」
「こんなこと、いつまで続けるんですか」
所長は何も言えなかった。
ただ、ここで腹を括った。
「わかった。
次は、誰にも一切のケチを
付けられないレベルでやってやるよ」と。
それほど悔しかった。
政治的な根回しも全部やった。
QCやKYTなど、
会社がやってほしい活動には全部参加し、
発表会後の懇親会で
本社の連中に顔を売った。
この腐ったシステムの中に食い込まなければ、
清濁併せ飲まなければ、上には行けない。
ただ、誇りだけは捨てない。
仮面をかぶってでも、やってやると思った。
結果的に、
次の試験は受けたほぼ全員が合格した。
所長室に乗り込んだ甲斐があった、
と思った。
昇進して、中間管理職になった。
清々しかった。
新しいスタートだと思った。
ただ同時に、大きな責任と覚悟があった。
今まで見てきたような連中とは違う。
出世して偉そうにしたいから
なったのではない。
この会社を変えるという決意があった。
やる気のない人間、
自分のことしか考えない老害、
先輩であろうと戦った。
仕事は責任を持って
真面目にやるのが当たり前だ。
それが自分の正義だった。
最初はそれでよかった。
賛同してくれる人もいた。
しかし徐々に、敵が増えていった。
手抜きを激しく注意して逆恨みされる。
面子を潰された相手から恨まれる。
陰口、根も葉もない噂、
ネガティブキャンペーン。
私が詰所に入ると、空気が変わった。
会話が止まる。誰も目を合わせない。
それが毎日続いた。
ふと気が付いた。
高校の時と同じだ。
あの時もこうだった。
最初は意に介さなかった。
しかしそれが1日1日積み重なっていくほど、
徐々に追い込まれていった。
ストレスが増え、不眠症になった。
疲れが取れないまま、仕事に出続けた。
何かに追われているような感覚が、
1日中離れなかった。
徐々に、ミスが増えていった。
ミスが出るたびに大バッシングが起こった。
「アイツ、あれだけ
偉そうなことを言っといて
自分がミス連発しとるやんけ」
そんな声が、そこかしこから聞こえていた。
「人の悪意に殺される」と思った。
比喩ではなく、本当にそう思った。
そして、その頃にはもう
頭がぼんやりとして、
何も考えられなくなっていた。
最終的に、
致命的なミスを起こした。
あの夜のことを、
今でも断片でしか思い出せない。
ただ、身体の感覚だけは覚えている。
手が震えていた。指先が冷えて、
自分のものではないような気がした。
清掃作業を終えた夜の車両基地は、
いつもと同じだった。
蛍光灯の青白い光が、
長い車体の側面を平らに照らしていた。
気がついたら、階段を登っていた。
途中にある安全盤の鍵を回した
記憶がある。
車両基地全体の照明が落ちた。
後で知ったことだが、
新幹線の電線に繋がる階段を
昇ろうとしていた。
25,000ボルト。
触れなくても、近付くだけで
感電死する高圧電流が流れていた。
照明が落ちたのは安全装置が働いたからで、
それがなければ死んでいた。
ただ、その時の自分は、
何もわかっていなかった。
係長が1人、血相を変えて走ってきた。
腕を掴まれ、引かれるまま歩いた。
係長室に入ると、放送が流れていた。
5人に囲まれた。
何か色々と言われたと思うが、
意味として入ってこなかった。
その時、
完全に心が折れた。
最後に上司が言った。
「もう、次はないで」
どうやって家に帰ったのか、
それもはっきりしない。
気がついたら高熱が出ていて、
そのまま逃げるように、休職した。
自宅の暗い部屋に、1人でいた。
評価も信用も、全て失った。
究極の苦痛の中にいた。
ふと、気が付いた。
「ああ、まただ」
高校3年の時と、同じだ。
あの時も、負け犬のように逃げた。
40日間、暗い部屋に引きこもった。
あれから何年も経って、
必死に這い上がって、
管理職にまでなった。
それなのに、またこれか。
また逃げた。
「お前、2回目だな」
自問自答した。
「自分は、自分の正義に従って
努力してきたはずなのに、
どうしてこうなったんだろう」
今まで、心のどこかで
他人のせいにして生きてきたのだと思った。
親のせい。学校のせい。
クラスメートのせい。
会社のせい。上司のせい。
だが、同じことが
また起きている。
学生の時と会社の時、
同じ登場人物は1人もいない。
ただ1人を除いて。
俺だ。
俺が原因なんだ。
俺が変わらないといけない。
「自分を変えない限り、
また同じことを繰り返す」
そう思った。
それだけは、死んでも嫌だった。
1人だけ、会いに来てくれた人がいた。
周りから慕われる、
親分肌の先輩だった。
自分より何歳か年上なだけなのに、
その場にいるだけで空気が変わるような
人間だった。
違う部署だったこともあり、
それまで、深く関わったことはなかった。
ただ、以前に
その先輩が大きなミスをした時、
見せしめのように自分のいた部署に
左遷されてきたことがあった。
周りは一斉に手のひらを返した。
陰口や嘲笑。
落ちた人間を踏みつける。
見慣れた光景だった。
ただ、自分は
そういうのが大嫌いだったから、
普通に接した。
その先輩が、
どん底にいる自分に会いに来てくれた。
「お前と話がしたかった」
ただ、真剣に話を聞いてくれた。
最後に、先輩が言った。
「逃げるな。やれ」
全てを諦めて退職することを、
その言葉が踏みとどまらせた。
40日後、復帰初日。
会社の建物が見えてきただけで、
汗と動悸が止まらなくなった。
パニック障害が再発していた。
怖くてたまらなかった。
会社の前で、仲の良い同僚夫婦に
バッタリ会った。
「おはようございます」と挨拶した。
旦那さんが、奥さんを手で後ろにやった。
その意味が、一瞬わからなかった。
理解して、愕然とした。
「精神障害者だと思われているんだ」
自分の置かれた状況を、思い知らされた。
こんなどん底から、
這い上がらなければいけないのか。
だが、逃げるわけにはいかなかった。
これは、自分の尊厳を奪還するための
戦いだった。
復職してから、仕事をしながら
全ての休日と金を、自己成長に使った。
NLP、心理学、コミュニケーション、
コーチング。
超一流と呼ばれる経営者、コーチ、
トレーナーに会いに行き、学んだ。
詰所で周りの人間が漫画を読む中、
1人セロン・Q・デュモンの
「集中力」やデール・カーネギーの
「人を動かす」などの本を読み、
実践し続けた。
復帰するにあたって、
これだけは絶対に
誰にも言わせないと
決めたセリフがあった。
「あいつは仕事できない」
何を譲っても構わなかった。
ただこの言葉だけは、
絶対に許さないと決めた。
それを言った奴が、
おかしな目で見られるような
状況を作ってやろうと思った。
そのためなら、なんでもやった。
出勤の1時間前に来て、
全ての準備を終わらせる。
自分の分も、周りの分も。
その日の予定と全体像を見て、
仕事の流れを読み、戦略を立てる。
「際立った成果を出すには
どうすればいいか」を考えた。
毎日、改善することだけを考えた。
人との関わり方も、
「成果につながる関係性」を
作ることだけを考えた。
自分の好き嫌いなど、どうでもよかった。
そして1年後、
この会社で誰にも侵害できない、
「自分の城」とも呼べる
絶対的なポジションを
作ることに成功した。
上司からも部下からも、
評価と信用を勝ち取った。
休職する前よりも、むしろ上がっていた。
仕事の成果、人間関係のマネジメント、
全ての問題を解決した。
あれほど憎まれ、潰されかけた自分が、
この腐った会社の中で、
誰にも文句を言わせない場所に立っていた。
自分をバカにして
悪質なデマを流していた連中に、
復讐することもできた。
ただ、やらなかった。
そんなくだらないことのために
やってきたんじゃない。
誇りは捨てない。
私は、何かを掴んでいた。
仕事の原理原則、人間関係の原理原則。
ある種の「答え」のようなもの。
それは本を読んで得られるものでも、
誰かに教わって得られるものでもなかった。
どん底まで落ちて、
そこから這い上がる中でしか、
掴めないものだった。
2年後、全てにケジメを付けることが
できたと思えた。
もう、何もやり残したことはない。
堂々と胸を張って、会社を辞めた。
「辞めてどうするのか」と慰留された。
こう答えた。
「自分で独立します」
今の自分なら、新しい生き方が
できるかもしれない。
新しい可能性があるかもしれない。
そこにチャレンジしてみようと思えた。
それは、この会社で逃げずに
やり切ったからだった。
2016年の11月末をもって、
私は会社を卒業した。
大晦日の夜、1人で街を歩いていた。
カウントダウンが近付いていた。
「自分の人生は大失敗だ」と、
ずっと思っていた。
そんな自分が、
「また、自分の人生が始まる」と思えた。
こんな気持ちになれる日が来るとは、
思っていなかった。
年が変わった。
今の自分だから進める、
新しい道を生きよう。
「メンタルトレーナー木下空」という道を。
SNS
Facebook
Twitter
Instagram
LinkedIn
動画配信
音声配信
お問い合わせ
法人サービスのお問い合わせ、ご質問や、
取材・執筆・講演・登壇依頼はフォームより無償でご相談を承っております。
提供サービス
現在、提供中のサービスはこちら
実績
提供サービスを受けたクライアントの事例、感想はこちら
特技・趣味
- 心理学、観相学、微表情学を活用した人材鑑定
- 画像や資料の作成・Webデザイン
- 神社仏閣巡り
- 60年代イギリス、アメリカのポップ・ロックアルバムの収集
- 食べ歩き
- 旅行
- 岩盤浴

