アマゾンの奥地に行った人と会ってみた
お疲れさまです。
先ほど(21:30)帰宅し、
デスクに座ってブログを書いている。
1日1記事更新、間に合うだろうか笑
今日は友人に誘われ、とある方のお話を聞きに行ってきた。
その方は禅や瞑想などを通して「自己の探求、内観」を追求してきた人で、
何と、つい最近アマゾンの奥地まで行ってきたらしい。
初めてお会いしたが、
物腰の柔らかい、優しい空気を感じさせる方だった。
その方から聞いた話で、印象に残った言葉をシェアしたい。
そもそも、なぜアマゾンの奥地まで行ったのかというと、
人生において、何か先に進めない「見えない壁」を感じていたからだそうだ。
「どうやら、これは【今の自分】では超えられなさそうだな」
方法論などの「やり方」ではなく、
「自分の今の器」では、難しいと感じたそうだ。
そんな時に、複数の「意味のある偶然」が重なって、
アマゾンに旅をする機会が巡ってきたのだそう。
アマゾンの奥地まで行って、現地の様々な人達と交流することで、
自分の「既成概念」という名の殻を破壊するための旅である、と。
「せっかくアマゾンまで来たのだから、大きな自己変革を起こすような体験を得たい」
当初はそう考えていたそうだが、現地の修行者から
「委ねろ、明け渡せ。何かを得ようとするな」
と言われたそうだ。
「蝶の羽根の片方は【痛み、悲しみ】もう片方は【深い愛】
片方が大きくなれば、もう片方も大きくなっていく」
「痛みや悲しみを避けようとするな。それは【ギフト】なんだから」
人は、
「成長することができたら、この痛みがなくなるんじゃないか」
「成功したら、この痛みがなくなるんじゃないか」
そんな風に思ってしまうものだ。
自分という存在に、何かが欠けてる気がして、それを補える何かを探そうとする。
外の世界にある「何か」を探そうとする。
しかし、本当は最初から自分自身の中にある。
「ずっと避け続けていたもの」が、
本当は「ずっと探していたもの」である、と。
桃の種を植えたら、桃の花が咲く。
しかし、色んな人が桃の種から「バラの花」や「ひまわりの花」を咲かそうとする。
自分らしく咲けばいいのに、それでこそ「豊かな自分の人生」を生きられるのに、
他の何かになろうとする。
人それぞれの人生があり、それぞれの成功がある。
自分にしかないものとか、自分らしい方法で豊かになること。
「頭で思い描いている【世間に刷り込まれた成功のイメージ】を 追いかけて、
その通りにしようとして苦しんで来た自分に気付いた」
そういった話を聞き、大きく頷いた。
世の中、そんな人は多いのではないか。
あっという間に3時間が経っていた。
有意義な時間を過ごさせていただいた。
帰り際に、友人とカフェで、
お互いのこれからの人生について話した。
彼は、もうすぐ東京で新しい生活をスタートする。
私は、17年間勤めた会社を辞め、新しい人生をスタートする。
上手くいくかもしれないし、上手くいかないかもしれない。
先のことは、誰にもわからない。
ただ「本気で生きる」だけである。
「誰かのように」ではなく、
自分らしい、自分だけの豊かな人生を送りたいと思う。
結局は、幸せとは「自分が納得できたか」だと思う。
「後悔」ではなく、
「納得」できる生き方を目指したいものだ。
一度きりの、人生なのだから。