「他人や自分を傷付ける人」の心の中にあるもの
ネットでニュースを見ていると、
胸が痛むような事件を多く目にする。
歌手活動をしていた女子大生をストーキングし、
脅迫を続け、挙句にメッタ刺しにした男。
次期最高権力者と目されながら、
国家内の権力闘争の末に、自分の家族の指令によって暗殺された男。
いたたまれない。
そしてニュースというものは、たまたま社会の病巣が表面化、顕在化したものである。
いわば「氷山の一角」。
例えば、最近某SNSを見ていたら、
自分のリストカットした画像を公開している子がいた。
調べてみると、すぐに何十人単位で出てきた。
私はグロテスクな画像には耐性がある方なのだが、
それでも「うっ!」となるような凄惨なものもあった。
こういった殺人事件や自傷行為をする人に対して
あなたはどう感じるだろうか。
殺人犯に対して「人間以下の鬼畜」と断罪することは容易い。
自傷行為をする人に対して、奇異な目を向けることも容易い。
彼らは、頭の中身が壊れた異常者だろうか?
いや、決してそうではない。
彼らも私もあなたも、同じ人間である。
そして、
人間の全ての行動の源泉は「愛」である。
ただ、人によって「表現方法」が違うだけなのだ。
傷付ける行動の根源にあるのは「愛されたい」
人を殺すことも、自傷行為も、動機を突き詰めて行けば
「愛されたい」
「認められたい」
これだけである。
なぜ、誰かを殺したいほど憎むのか?
「愛を失う」ことに対する恐怖が、それを「憎しみ」に反転させる。
「否定される」ことに対する恐怖が、それを「憎しみ」に反転させる。
この世の全ては「陰と陽」であり「表と裏」が存在する。
そして「愛と憎しみ」は、同じコインの表と裏である。
「愛」が反転すると、恐怖という道を通って「憎しみ」に変わる。
なぜ、自分の手首を切り刻むのか?
「愛を失った経験」によって、罪悪感、劣等感に苛まれる。
「否定された経験」によって、罪悪感、劣等感に苛まれる。
自己嫌悪が強くなり「自分を罰する行為」をすることによって、心の安定を図る。
お分かりだろうか?
異常者でもない、モンスターでもない。
人間である。
切なくも哀しい、人間の姿なのだ。
そうなる前に、悲劇が起こる前に、
いくらでも手立てはあったはずである。
私は「もういい加減、こんな世の中はたくさんだ」と考える。
大きな怒りを覚える。
愛ゆえに、自分や他人を傷付け、殺めること。
だが、それが自分の幸せとは「真逆の選択」であること。
簡単なことなのだ。
ほんの少しの「気付き」だけでいい。
それを分からせる人間が側にいたら・・・
私は、こんな世の中を変えたい。
その為に、自己研鑽に励んでいる。
メンタルコーチとして、多くの人を助けたい。
絶対に、成し遂げてみせる。
明日は明日の風が吹く。