極道だった父親と、初めて向き合った話

少し前の話。
思うところがあり、
数年ぶりに父親に会いに行くことにした。
少し迷ったが、
そのことについて書こうと思う。
私と、極道だった父親との関係について
私が子供の頃、
父親は関西でも有名な極道だった。
背中には色彩豊かな弁天の刺青が入っていて、
年齢が30代前半の時点で、すでに大勢の舎弟を抱えていた。
当時はバブル景気で不動産業もやっていて、羽振りも良かった。
ヤクザなのに、ひょうきんな性格で、
いつもトボけたことを言って周囲を和ませていた。
その上で、不思議なカリスマ性もあった。
そんな極道の父親だったが、
家庭には一切「そういったこと」は持ち込まない人だった。
背中の刺青を見て「これどうしたの?」と聞いても、
「お父さん悪いことをしたから、警察に書かれたんだよ」
「ひろしは悪いことをしたらあかんよ」とだけ言われた。
今でも、そのことに関しては尊敬している。
その一方で、父親はあまり家には帰らず、浮気ばかりしていた。
私が小学4年生の頃だっただろうか。
父親が浮気相手の女性と、私や弟妹を遊園地に連れて行き、
家に帰って「お姉ちゃんと遊園地に行った」と母親に報告したことで浮気がバレ、
それをキッカケに壮絶な夫婦喧嘩が勃発し、離婚に至っている。
私は、その夫婦喧嘩を包丁を持ち出して止めた。
小学生の私が、父親に包丁を向けた。
父親が去った後、母親は泣きながら一升瓶の日本酒を直飲みしていた。
(ちなみに、それとは別に父親が私に紹介した謎の韓国人女性「ミス・キム」は一体何者だったのか、今でも気になっている)
離婚後、父親は浮気相手の女性と再婚した。
その時、子供心にも「父親に捨てられた」ということは理解できた。
その事実を突き付けられ、受け入れるしかなかった。
そこから私が20歳になるまで、父親と会うことはなかった。
高校3年の時、学校に全く馴染めず、
嫌なことを言われたりして不登校になり、
なんとか卒業したものの、うつ病になっていた。
ただ、その時には自分がうつ病であることを自分で判断できなかったし、何の知識もなかった。
思考能力や記憶力が著しく低下し、
自己嫌悪感、罪悪感、自己否定感などの感情に翻弄されることしかできなかった。
あまりにも弱く、無力だった。
何の仕事も満足に覚えられず、人からバカにされ、アルバイトを転々とした。
キッカケは思い出せないが、20歳の時に父親と再会した。
その頃には、すでに父親は極道から足を洗っていた。
父親は私の様子を見て「うつ病ではないか」と判断し、
私を心療内科に連れて行ってくれた。
そこで抗うつ剤などを処方してもらい、少し楽になった。
今、振り返ると「あの時に助けてもらったな」と思う。
それ以来、父親とは時々電話で連絡を取るようになった。
時は流れ、
私が17年間勤めた会社を辞め、
トレーナーとして起業してから、
父親は心配の電話をかけてくるようになった。
「お前、あんなに安定した会社を辞めて、これからどうするんや・・・・」
「その歳で結婚もせんと、これからどうするんや・・・・」
電話の度に、こういった言葉を聞かされる。
正直、私はウンザリしていた。
その「心配の言葉」が、心のどこから発せられたものか、
わかっていたからである。
父親は、ずっと私や弟妹に対して「罪悪感」を持っていた。
「子供を捨てて逃げた」という罪悪感である。
だから、自分が健在なうちに、子供達には、
身持ちを固めておいてほしい。
安定した会社で、結婚して堅実な家庭を築き、
とにかく堅実に生きてほしい。
そうすることで、
「自分の罪悪感から来る不安」を少しでも減らして、楽になりたい。
私は、
「全部あんたの勝手なエゴだろう」と、
久しぶりに腹が立っていた。
どれだけの覚悟と決意を持って、
起業したと思っているのか。
尋常ではない努力をした。
そして、尋常ではない結果を出してきた。
それに対してこの親は、
ことここに及んで、
まだ自分の足を引っ張るのか。
「いい加減にしろ!」と。
「ドリームキラー」と呼ばれる人達がいる。
夢を持って1歩を踏み出そうとしている人に対して、
「やめておけ」「どうせ無駄だ」
「失敗するぞ」と言う人達がいる。
ドリームキラーは、
「何かを諦めた人達」である。
「夢や目標」
「愛を求めること」
「本当にやりたいこと」
「自分という存在」
「自分の可能性」
大切だった何かを、諦めたのだ。
だから、自分の身近な人にも諦めて生きてほしい。
諦めた自分の判断が「正しい」と思いたいのだ。
往々にして、
家族は「最大のドリームキラー」になる場合がある。
「心配という名のエゴ」が生まれるのだ。
子供には幸せになってほしいから、
自分が過去に犯した失敗はして欲しくないから、
「自分が幸せだと思う型にハマって生きてほしい」というエゴである。
私は、ドリームキラーを嫌悪していた。
自分の夢を阻むなら、誰であろうと縁を切ろうと思っていた。
その覚悟で生きていた。
だが、思い直すことにした。
心配するのは「知らないから」なんだ、と。
私がどういう人生を送ってきて、
どんな挫折を乗り越えて、
どういう「志」を持って、この仕事を選んだのか。
そう考えていた時、ふと気付いた。
「私は、自分の父親のことを何も知らない」
この人のことを、何も知らない。
同時に、父親もまた「私という人間を知らない」のだ、と。
「子供の頃の私」のまま、時が止まっているのだ。
だから、いつまでも心配する。
「今、気付いて良かった」と思った。
私は、父親に会いに行った。
父親は小さくなり、痩せていた。
子供の頃に見ていた「力強さ」は消え、
表情からは、弱々しさしか感じられなかった。
『自分を責めて生きている人間の顔』をしていた。
私は、その時に決心した。
『自分の父親を助ける時が来た』と。
コーチングセッションを行い、長い時間、父親と向き合った。
色々な話を聞いた。
過去に縛られ、自分を責め続けている父親に対して、
「誰もあなたを責めていない」
「何も心配しなくていい」
と、自分が身に付けてきた全ての技術を使って伝えた。
私という人間の「在り方」を通じて、
心の底から「そうだ」と体感してもらった。
父親の表情が変わった。
昔の「お父さん」の表情に戻った。
その時、
私自身の「長男」としての、
大きな役割を果たせたような気がした。
最後に、
「お父さん、ありがとう」と伝えて帰った。
帰りの道すがら、
物心がついた頃の記憶を思い出した。
高熱を出して朦朧としている子供の自分を、
父親が抱きかかえて、どこかに運んでいる。
熱はしんどかったけど、どこか安心していた。
父親の愛情を、感じていた。
明日は明日の風が吹く。