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極道だった父親と、初めて向き合った話

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極道だった父親と、初めて向き合った話
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職場性ストレス/組織マネジメントの専門家 元国営企業に17年間在籍。 派閥や忖度が渦巻く組織で、管理職として300名以上をマネジメント。 重大アクシデント、人間関係の悪化、チーム崩壊といった修羅場を何度も乗り越え、 「成果に繋がる行動設計」「人間関係の立て直し」「チームの活性化」など、 現場で数多くの問題解決と組織改善に取り組んだ経験を持つ。 これまで会社員・管理職・起業家・経営者など、1500名以上を支援。 職場のストレスや人間関係の問題、成果が出せないスランプに悩む方へ、 心理技術と現場知見を統合した「実践的かつ本質的な解決策」を提供。 売上アップ・転職・独立・人間関係の改善など、 「理想の働き方」を実現するサポートをしています。 まずは、公式LINEまたは体験セッションでご相談ください。
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少し前の話。

 

思うところがあり、

数年ぶりに父親に会いに行くことにした。

少し迷ったが、

そのことについて書こうと思う。

私と、極道だった父親との関係について

私が子供の頃、

父親は関西でも有名な極道だった。

背中には色彩豊かな弁天の刺青が入っていて、

年齢が30代前半の時点で、すでに大勢の舎弟を抱えていた。

当時はバブル景気で不動産業もやっていて、羽振りも良かった。

ヤクザなのに、ひょうきんな性格で、

いつもトボけたことを言って周囲を和ませていた。

その上で、不思議なカリスマ性もあった。

 

そんな極道の父親だったが、

家庭には一切「そういったこと」は持ち込まない人だった。

背中の刺青を見て「これどうしたの?」と聞いても、

「お父さん悪いことをしたから、警察に書かれたんだよ」

「ひろしは悪いことをしたらあかんよ」とだけ言われた。

今でも、そのことに関しては尊敬している。

 

その一方で、父親はあまり家には帰らず、浮気ばかりしていた。

私が小学4年生の頃だっただろうか。

父親が浮気相手の女性と、私や弟妹を遊園地に連れて行き、

家に帰って「お姉ちゃんと遊園地に行った」と母親に報告したことで浮気がバレ、

それをキッカケに壮絶な夫婦喧嘩が勃発し、離婚に至っている。

 

私は、その夫婦喧嘩を包丁を持ち出して止めた。

小学生の私が、父親に包丁を向けた。

父親が去った後、母親は泣きながら一升瓶の日本酒を直飲みしていた。

(ちなみに、それとは別に父親が私に紹介した謎の韓国人女性「ミス・キム」は一体何者だったのか、今でも気になっている)

 

離婚後、父親は浮気相手の女性と再婚した。

その時、子供心にも「父親に捨てられた」ということは理解できた。

その事実を突き付けられ、受け入れるしかなかった。

そこから私が20歳になるまで、父親と会うことはなかった。

 

高校3年の時、学校に全く馴染めず、

嫌なことを言われたりして不登校になり、

なんとか卒業したものの、うつ病になっていた。

ただ、その時には自分がうつ病であることを自分で判断できなかったし、何の知識もなかった。

思考能力や記憶力が著しく低下し、

自己嫌悪感、罪悪感、自己否定感などの感情に翻弄されることしかできなかった。

あまりにも弱く、無力だった。

何の仕事も満足に覚えられず、人からバカにされ、アルバイトを転々とした。

 

キッカケは思い出せないが、20歳の時に父親と再会した。

 

その頃には、すでに父親は極道から足を洗っていた。

父親は私の様子を見て「うつ病ではないか」と判断し、

私を心療内科に連れて行ってくれた。

そこで抗うつ剤などを処方してもらい、少し楽になった。

 

今、振り返ると「あの時に助けてもらったな」と思う。

それ以来、父親とは時々電話で連絡を取るようになった。

 

時は流れ、

私が17年間勤めた会社を辞め、

トレーナーとして起業してから、

父親は心配の電話をかけてくるようになった。

「お前、あんなに安定した会社を辞めて、これからどうするんや・・・・」

「その歳で結婚もせんと、これからどうするんや・・・・」

電話の度に、こういった言葉を聞かされる。

 

正直、私はウンザリしていた。

その「心配の言葉」が、心のどこから発せられたものか、

わかっていたからである。

 

父親は、ずっと私や弟妹に対して「罪悪感」を持っていた。

「子供を捨てて逃げた」という罪悪感である。

だから、自分が健在なうちに、子供達には、

身持ちを固めておいてほしい。

安定した会社で、結婚して堅実な家庭を築き、

とにかく堅実に生きてほしい。

そうすることで、

「自分の罪悪感から来る不安」を少しでも減らして、楽になりたい。

 

私は、

「全部あんたの勝手なエゴだろう」と、

久しぶりに腹が立っていた。

 

どれだけの覚悟と決意を持って、

起業したと思っているのか。

尋常ではない努力をした。

そして、尋常ではない結果を出してきた。

 

それに対してこの親は、

ことここに及んで、

まだ自分の足を引っ張るのか。

「いい加減にしろ!」と。

 

「ドリームキラー」と呼ばれる人達がいる。

夢を持って1歩を踏み出そうとしている人に対して、

「やめておけ」「どうせ無駄だ」

「失敗するぞ」と言う人達がいる。

 

ドリームキラーは、

「何かを諦めた人達」である。

 

「夢や目標」

「愛を求めること」

「本当にやりたいこと」

「自分という存在」

「自分の可能性」

大切だった何かを、諦めたのだ。

 

だから、自分の身近な人にも諦めて生きてほしい。

諦めた自分の判断が「正しい」と思いたいのだ。

 

往々にして、

家族は「最大のドリームキラー」になる場合がある。

「心配という名のエゴ」が生まれるのだ。

 

子供には幸せになってほしいから、

自分が過去に犯した失敗はして欲しくないから、

「自分が幸せだと思う型にハマって生きてほしい」というエゴである。

 

 

私は、ドリームキラーを嫌悪していた。

自分の夢を阻むなら、誰であろうと縁を切ろうと思っていた。

その覚悟で生きていた。

 

だが、思い直すことにした。

 

心配するのは「知らないから」なんだ、と。

私がどういう人生を送ってきて、

どんな挫折を乗り越えて、

どういう「志」を持って、この仕事を選んだのか。

そう考えていた時、ふと気付いた。

 

「私は、自分の父親のことを何も知らない」

 

この人のことを、何も知らない。

 

 

同時に、父親もまた「私という人間を知らない」のだ、と。

「子供の頃の私」のまま、時が止まっているのだ。

だから、いつまでも心配する。

 

「今、気付いて良かった」と思った。

 

 

私は、父親に会いに行った。

 

父親は小さくなり、痩せていた。

子供の頃に見ていた「力強さ」は消え、

表情からは、弱々しさしか感じられなかった。

 

『自分を責めて生きている人間の顔』をしていた。

 

私は、その時に決心した。

『自分の父親を助ける時が来た』と。

 

コーチングセッションを行い、長い時間、父親と向き合った。

色々な話を聞いた。

 

過去に縛られ、自分を責め続けている父親に対して、

「誰もあなたを責めていない」

「何も心配しなくていい」

と、自分が身に付けてきた全ての技術を使って伝えた。

 

私という人間の「在り方」を通じて、

心の底から「そうだ」と体感してもらった。

 

 

父親の表情が変わった。

昔の「お父さん」の表情に戻った。

 

 

その時、

私自身の「長男」としての、

大きな役割を果たせたような気がした。

 

 

最後に、

「お父さん、ありがとう」と伝えて帰った。

 

 

帰りの道すがら、

物心がついた頃の記憶を思い出した。

 

高熱を出して朦朧としている子供の自分を、

父親が抱きかかえて、どこかに運んでいる。

熱はしんどかったけど、どこか安心していた。

 

父親の愛情を、感じていた。

 

 

 

 

 

明日は明日の風が吹く。

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