盲目的な「社畜」として生きるあなたへ
「とにかく会社に行くのがイヤだ」
「職場の人間関係が苦痛だ」
「仕事が楽しくない」
「自分の未来に希望を感じない」
そんな事を心の隅でボンヤリと思いながら、
今日も朝の電車の通勤ラッシュで酸欠になりながら出勤する。
溜まっていくストレスの捌け口といえば、なんとなくテレビやネットを眺めたり、
同僚と安い居酒屋で会社の愚痴を言い合う事くらい。
自分に自信がないから、他人と関わることが苦手だし、もちろんパートナーもできない。
そもそも仕事で疲弊しきっているから、合コンなどの出会いの場に行くのも面倒くさい。
休日は、一日中寝ているだけで終わる。
いろんな事が面倒くさい。
人生は「死ぬまで続く暇つぶし」だ。
今日も会社に行く。
明日も会社に行く。
何の為に?
これは、20代の頃の私の話である。
この頃を振り返ってみて「今の自分と決定的に違っていること」は何か?
自分のことを自嘲的に「俺は所詮、社畜の人生だから」などと思っている人に伝えたい。
「人生を生きる覚悟を持つ」
これは、私が尊敬する方から頂いた言葉である。
「人生を生きる覚悟」とは何か?
「自分の人生に、全責任を持つこと」
親や家族、他人、環境、境遇、運、学校、会社・・・
自分以外の「誰か」や「何か」に自分の人生の責任を負わせるのは、もう止めよう。
シンプルに格好悪いし、情けない。
あなたが「人生を変えたい」「自分を変えたい」「自分を成長させたい」と思うなら、
一番最初に、意識の根っこに、この言葉を刻み込もう。
ここからしか、スタートできない。
「自分の意志で、人生を選択すること」
「行きたくもない会社で、好きでもない仕事を【させられている】」
「親が勝手に敷いたレールの上を【歩かされている】」
「やりたくないことを【させられている】」
これは、あなたの幻想である。
最後の最後で、あなたは自分で「選択」したはずだ。
ではなぜ、そう思ってしまうのか?
「受け身」で、自分の人生を生きているからである。
受け身で生きていると、自分の人生なのに、どこか他人事のように感じてしまう。
あなたの人生で起こることの全ては、あなたの「選択」の結果である。
もちろん、自分が選択したことの結果については、自分が全責任を持つ。
すると、考え方や行動が変わってくる。
無責任なことはできなくなる。
「意志」とは、何かを成し遂げようとする決意であり、積極的かつ自立した心の在り方である。
自分が「やる」と選択したことは、全力でやり抜く。
「駄目な自分」「できないこと」を見るのではなく、
「どうやったら成功できるか?」
「どうしたら楽しめるか?」
「どうしたら、現状を打破できるか?」
「今、自分にできることは何か?」
こういった思考を習慣にしてみよう。
「人はいつか死ぬ」いうことを意識する
人生とは、時間である。
「期限が定められた時間」である。
人は、いつか死ぬ。
私は「人生に失敗はない」と考えている。
全ては考え方次第で、学びになり、経験になる。
「失敗は成功の母である」とは発明王エジソンの言葉だが、数え切れない失敗を糧として、
エジソンは成功した。
イチローだって、10回打席に立って7回は失敗するのである。
「失敗した!もう俺はダメだ!」と落ち込む必要はないのだ。
「ふむ、こうやったらこういった結果になるのだな」位でいい。
ただ、1つだけ唯一の例外としての「失敗」がある。
自分が死ぬ時、
人生の幕を降ろす、その瞬間に、
「ああ、自分の人生は失敗だったな・・・」と、
後悔しながら死ぬことである。
想像してみてほしい。
悲劇でしかない。
私は自分の人生の最後に、そんなことを思いながら死ぬことだけは、
絶対に嫌だし、そんな自分は許せない。
その強烈な「嫌だ!」という叫びが「生きる覚悟」に繋がる。
「死」を意識した時、人は強烈な「生」を感じることができるのだ。
長くなってしまったが、一人でも多くの「社畜」の首輪を外すキッカケになれば、嬉しく思う。
「自分の足で立つ」
自立した心を持って、人生を歩いていこう。
自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ。
ボブ・マーリー