「こだわり」と「執着」の違い
お疲れさまです。
今回は「こだわり」と「執着」の違いについて。
あなたには、譲れない「こだわり」がありますか?
例えば、
「人と待ち合わせる時は、必ず約束した時間の20分前には到着する」
「挨拶はキッチリしないと気が済まない」
「仕事に対して、常に達成したい明確な基準がある」
「このブランドの新作は必ず買う」
「この美容院でしかカットしたくない」
「1日1冊、本を読み続けている」
「毎朝決まった銘柄のコーヒーを飲む」
「自分で玄米を炊いて食べている」
「高級なサプリメントを飲んでいる」
「毎日、腹筋運動を30回している」
などなど・・・
挙げたらキリがない。
そもそも、人はなぜ「こだわり」を持つのか?
それは、
自分が設定した「望ましい自分でいるため」であり、
「こだわり」を実践することで、
「自信を持ち、自己重要感を高めたい」からである。
要するに、自分を好きでいたいのだ。
ところが、
「こだわり」を通すことに重点が行き過ぎてしまうと、
段々と苦しくなってくる。
望ましい自分でいるための「こだわり」だったはずが、
いつの間にか、ただ「こだわりを通すこと」が目的になってしまう。
「こだわり」に操られるようになってしまう。
これでは辛いだけだし、本末転倒である。
それはもはや「こだわり」ではなく、
ただの「執着」だといえる。
建設的に生きるための「こだわり」が、
苦しみしか生まない「執着」になっていないか、
よく注意しておく必要がある。
ただ、「こだわり」と「執着」の線引きは難しい。
結局は、その人が「幸せ」だと感じられるなら、
どっちだって構わないともいえる。
例えば、
連続フルイニング出場記録を更新中のプロ野球選手が、
骨折などの大怪我を押してでも試合に出続ける。
これが「こだわり」か「執着」か、
もしくは両方なのか、当人にもわからないのかもしれない。
いずれにせよ、
柔軟に考えていく必要がある。
「望ましい自分」で在るために、
何が最善の行動なのかを。
今日も頑張っていきましょう。
そのせいで落ち込んでしまうぐらいなら、
不満の種を捨てちゃえばいいのよ。
ティナ・ターナー