病院と死
お疲れさまです。
今日は病院に行ってきました。
大阪にある、有名な脳神経外科へ。
2週間前に行った整骨院で首を揉まれてから、
ずっと強烈な頭痛と吐き気が止まらず、
心配になって、精密検査を受けてきました。
病院でMRIを撮ってもらったり、なんだかんだで8時間。
長かった・・・・。
結論からいうと、病気ではなかったようでホッとしました。
筋肉の炎症が原因のようです。
でも、本気で怖かった。
「もしかして・・・」という疑念を持ったまま、
この2週間を過ごしていた。
それはそれで、いい経験と言えるかもしれない。
中待合室にモニターが6個ほどあって、
各手術室で行われているオペがリアルタイムで見れるという、
凄まじい施設だった。
そのモニターを、患者さんの親族らしき人達が真剣に見ている。
首を切り開いて、頚椎にプレートを固定する手術のようだ。
現実なのに、どこか遠い世界の出来事のような気がした。
しかし「もしこれが自分の家族だったら・・・」と考えると、
いたたまれない気持ちになった。
脳神経外科なので、深刻な病状の方を多く見かけた。
私が中待合室で待機している間、
診察室から「痛いよ!」という悲鳴や、
女性の嗚咽が何度か聞こえてきた。
出てきた女性の顔の表情は、まともに見れなかった。
日常にはない「死の恐怖」が、そこかしこから感じられた。
健康な自分が此処にいること自体が、
人生を見つめ直さずにはいられない体験だった。
この人達も、私やあなたと同じように、
何の変哲もない「平和な日常」を送っていたはずだ。
自分が脳梗塞や脳腫瘍になるなんて、夢にも思っていなかったはずだし、
そんな現実は、誰だって受け入れ難い。
それなりに修練を重ねてきた私でも、
検査結果が出るまでは恐怖を感じていた。
あの時、もし医者に「脳腫瘍です」
と言われていたら?
それ以上、考えたくはない。
自分の検査結果云々よりも、
あの場に満ちた空気感に衝撃を受けながら、
病院を後にした。
健康は、ありがたい。
生きることは、ありがたい。
小さなことは気にしないで、
ただ感謝して、生きればいいのだ。
「平和な日常」という幸せを、生きればいいのだ。
明日も頑張っていきましょう。
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。
生きるためなんだ。
アンドレ・マルロー