「見栄を張る・虚栄心が強い人』の6つの特徴・心理とは?
人間誰しも、時として見栄を張ってしまうことはある。
「格好悪い自分」「ダメな自分」を見られるよりも、
出来ることなら、少しでも格好良い自分を見せたいと思うものだ。
- 「自分を良く見せたい」
- 「多くの人から認められたい」
- 「自分という存在を大きく見せたい」
- 「スゴい人だと思われたい」
- 「他人に対してイイ格好をしたい」
- 「他人の賞賛を浴びたり、羨望の眼差しで見られたい」
それは人間に限った話ではなく、多くの動物が持つ「本能」でもある。
自分を誇示することで、厳しい世界をサバイバルする方策とする。
孔雀だって、大きな羽を広げて自分を大きく、美しく魅せようとする。
適度に見栄を張ることは、良い意味での「緊張感」であったり、
「上昇志向」や「エネルギー」を生み出す。
しかし、現代社会には「過度に見栄を張る人」や、
「本来の自分」と大きくかけ離れた「虚像」を演じる、
「虚栄心」に支配された人間がいる。
「見栄を張る・虚栄心が強い人」
あなたの周りにもいないだろうか?
- 自分の能力、実績を自慢したり吹聴するが、実際の「中身」が伴っていない人間
- 日常的に大口を叩くが、実際の「行動」には移さない人間
- 異常に職業・人脈・学歴・所有物などの「ステータス」に執着する人間
- 嘘・大げさな言動を日常的に多用する「虚言癖」のある人間
虚栄心という欲望に支配されてしまうと、
薄っぺらい表面的なことばかりに執着するようになり、
却って自分の首を絞め、周りの人たちの信頼を失ったり、
人が離れて行ったりする。
虚栄心に支配された人間が、陥りがちなパターンがある。
見栄を張る→大げさに言う→嘘を付く
最終的には、日常的に「小さな嘘」を重ねることが当たり前になり、
自分自身も「本当の自分」と「虚像」の見分けがつかなくなっていく。
InstagramやTwitterなどのSNSでは、
虚栄心の強い女性達が写真を投稿し、
今日もせっせと「リア充合戦」を繰り広げている。
「リア充に見える写真」を撮るための、
「レンタル友達」「レンタル彼氏」などの業者まで出てくる始末である。
しかし、当然ながら、
嘘がバレたり、大げさな言動を見抜かれると、
周囲の人達の信用を失ってしまう。
表面的な付き合いはあっても、精神的に孤立していくことになる。
虚栄心に支配されることは「不幸な選択」である。
だが、本人はそこに気付かない。
もしくは、心のどこかで気付いていても止められない。
今回は、
『虚栄心に支配された人間』の6つの特徴と
『不要な虚栄心から卒業する方法』をお伝えしていこう。
『虚栄心に支配された人間』の6つの特徴と心理
①自分の中の「虚像の自分」を盲信し、自分はこうあるべきだと思い込んでいる
人間誰しも「自己評価」というものがある。
無理に自分を大きく見せようとか、嘘をついたり話を脚色してまで、
自分を飾り立てようとはしない。
しかし、虚栄心が強い人間の意識の中では、
「自分の存在」が実態を離れて大きく膨れ上がってしまっている。
「現実の自分」と「意識の中の自分」が、大きくかけ離れている状態。
その「差」を埋めるために、自分を満足させるために、
常に自分を誇示したり、大きく見せる必要が生じるのだ。
「等身大の自分」を受け入れられない。
そんなことはプライドが許さない。だから、前に進めない。
これは、自分を成長させるために「自分を鼓舞する」
「自分に発破をかける」というものとは違う。
そういった建設的なものではなく、
ただ、自分を過大評価した末に出来上がった「虚像の自分」に執着している。
根底にあるのは「弱さ」であり「おそれ」である。
だから、人生には付き物である「失敗」や「アクシデント」を認められない。
例えば、東大を目指して受験勉強していたが試験に落ちてしまい、
滑り止めの大学に入学した学生が「俺はこんな大学に来るはずじゃなかったのに」
「俺は東大に合格するはずだったのに」と、現実を認められない。
そういったタイプである。
②常に自分と他人を比べ、優位に立つことでしか「自分の存在意義」を感じられない
「人は人、自分は自分」」という意識を持つことができず、
いつでも他人との比較でしか「自分が自分であること」を認識できない。
「他人よりも上に立っていたい」「他人よりも優れていたい」という欲求が強く、
「他人より上にいる自分」「他人より優れている自分」を実感しないと、
「自分の存在意義」を確かめられない。
つまり、
本当は心の底で「誰よりも自分自身を認めていない」のだ。
では、上昇志向が強いのかといえば、それも少し違う。
ただ、誰かの上に立つことに快感を感じていて、それが目的になっている。
そこにあるのは「誰かの上に立っていたい」「他人から羨望の眼差しで見られたい」という、
極めて意識の低い欲望だけである。
③自分の弱さ、コンプレックスを受け入れられない
虚栄心に支配された人間は「自分の弱さ」や「コンプレックス」を認めることができない。
これも、自分に自信がないからこそかもしれないが、
「格好悪い自分」「何も出来ない自分」「失敗する自分」を周りに見せることを異常に恐れる。
だから、何かにチャレンジする勇気を持てない。
自らの虚栄心が「失敗」を許せないからである。
そこで、必要以上に自分を誇示し、アピールし、
「自分の弱さ」から目を背けたり、隠そうとする。
自信家のように人には見せているが、内心はふつうの人よりも自信がないのが、
虚栄心に支配された人間の特徴である。
自信家を装って「自信のない自分」を隠すことで、自我を保とうとする。
しかし心の奥底には、大きな「虚しさ」を抱えている。
④いつも「その場しのぎ」で切り抜けようとする
何か問題が起きても、表面だけ上手いことやったり、ごまかして切り抜けようとする場合が多い。
その場その場のことしか頭にないので、
目の前の相手に対して優位に立てれば問題がないと考えている。
このタイプは、責任を人に押し付けることも珍しくない。
誠実さに欠け、真面目に向き合っても口先だけでボヤかされたり、
話の筋を見えなくしたり、タチの悪い対応をされることが多い。
必然的に、対人間のトラブルを抱えることになりやすい。
⑤自分を大きく見せた方が人が寄ってくると思い込んでいる
人は成功している人、上手くいっている人の近くに寄っていくもの。
だから、多くの人にちやほやされたい虚栄心の塊みたいな人は、
自分を偽ってでも大きく見せようとする。
自分の能力から、自分の実績、エピソード、所有物、人脈、
あらゆるものを過大に見せようとする。
自分の能力や功績を大きく見せることで、それに惹かれた人間が集まって来ると信じている。
だが、そういったやり方が「大きなリスク」だとは思ってない。
見抜かれた時の「ダメージの大きさ」について、考えていない。
⑥「虚実の自分」を演じることに対して罪悪感がない
虚栄心の強い人間は、
「自分は普通であり、何も悪いことをしていない」と言う認識を持っていることが大半である。
全ての人間には裏表があり、見栄を張るものだと思っているため、
嘘をつくことにも罪悪感が無いのが特徴である。
そのため、何か問題があっても責任をとろうという発想がなく、
「自分が責任を取らされるなら、他のアイツも責任をとらなければおかしい」
と考えてしまう。
自分だけが悪いという発想はなく、問題があると人を巻き込むのも特徴といえる。
社会的なモラルにも無頓着で、意図しないまま犯罪に巻き込まれたり加担することも多い。
仕事で関わる相手であれば、
相手の主観ではなく「客観的な事実に基づく情報」を提供するように徹底する必要がある。
『不要な虚栄心』から卒業するには
虚栄心が強い人間は「過大な自己評価」と、
「コンプレックス」が交錯した複雑な心理を持っている。
そして「根は気の弱い人」ということもできる。
「虚栄心が強い人=嫌な人・悪人」とは限らないのである。
自分を良く見せたり、見栄を張ったりすることは決して悪いことではないが、
その虚栄心が強過ぎると、本来持っている自分の姿を見失ってしまったり、
周囲の人達の信頼を失ったりと、良いことがない。
本末転倒なのだ。
無駄に強い虚栄心に支配されて生きて、
大切なものを失ってしまう位なら、
しんどい思いを抱えながら生きる位なら、さっさと手放してしまえばいい。
「虚栄心を手放す方法」は、在るがままの自分を認め、肯定すること
自分に自信を持ったり、自分を信じること、自分を大切に生きることは大切だが、
他人に対して、自分を必要以上に大きく見せる必要はない。
『虚像の自分を演じなければ認められない』
『虚像の自分を演じなければ愛されない』
その思いは幻想である。
「自分と誰かと比較する」という、不毛なことをする必要もなければ、
「自分の弱さ」を隠す必要はないし、
「自分の弱さ」を責める必要もない。
ただ、
「在るがままの自分」を受け入れればいい。
その上で、そこから自分を磨き上げていけば良いのである。
「理想の在り方」を目指して、正々堂々と精進していけば良いのである。
結局、
それが一番の「幸せの近道」なのだ。
明日は明日の風が吹く。