【弱い自分に勝つ方法】『2つの勇気』があなたを強くする
こんばんは。
『あなたを職場性ストレスから解放する』
マネジメンタルトレーナー の木下空です。
「自分の弱さ」に負けそうになっているあなたへ
誰しも、自分の心の中に「弱さ」を持っている。
時には自分を信じられず、何もかも弱気になってしまい、
前に進めずにいることもあるだろう。
あなたが人生に望むことは、何だろうか?
「幸せ」だろうか?
「成長」だろうか?
「成功」だろうか?
それを手に入れ、
あなたが自分らしく、人生を自由に生きるために、
「最大の障害」になるものがある。
それは「恐怖」である。
- 「恐怖」は、あなたの成功の邪魔をする
- 「恐怖」は、あなたの挑戦の邪魔をする
- 「恐怖」は、あなたの成長の邪魔をする
- 「恐怖」は、あなたの幸せの邪魔をする
あなたが「自分の弱さ」に負けた時。
それは同時に「恐怖から逃げたこと」を意味する。
私は「自分の弱さ」に負け続けながら生きてきた
私自身も、人生の半分を「自分の弱さ」に負け続け、巨大な恐怖に怯えながら生きてきた。
身を縮こませ、逃げながら、目を逸らしながら、なんとか生き延びてきた。
しかし、現実は何も良くならなかった。
ずっと「恐怖」が私の背中を覆い被さり、人生に「絶望」という影を落とし続けた。
最終的に、一つの結論に辿り着いた。
「この恐怖をなんとかしなければ、一生幸せに生きることができない」
きっと「辛い経験」をし過ぎたのだと思う。
心にまとわり付いた「不幸の呪縛」から自由になりたかった。
その為に心理学、哲学、宗教学や、コーチング、カウンセリングなどの技術を学んだり、
高名な武道家に弟子入りしたり、人里離れた場所に篭って瞑想修行をしたり、
ありとあらゆる試みを続けてきた。
そして、そういった実体験を通して、恐怖と対峙し続けて、
「恐怖には役割がある」と気付いた。
恐怖の役割は「3つ」
1つ目は、あなたに危険を知らせ「逃げろ!」というサインを送ること。
「生存本能」としての恐怖である。
もっとも、この「生存本能」が厄介で、よく「誤作動」を起こすのだが・・・。
2つ目。
本能はあなたに「安全な状態」を保って欲しいから、
大きな変化をさせないように、
つまり「現状維持」をさせようとする。
あなたが大きな挑戦をする時、恐怖心を発生させ、怖がらせ、
挑戦を諦めさせようとする。
そして3つ目。
恐怖の「隠れた役割」がある。
それは「あなたの覚悟を試すこと」である。
あなたが「恐怖の門」の扉を開け、次のステージへ進むための、
「門番」としての役割である。
あなたの「過去の人生」を思い出してみてほしい。
いつだって、
「恐怖」飛び越えた先にしか
「成長」はなかったはずだ。
いつだって、
「恐怖」を飛び越えた先にしか
「成功」はなかったはずだ。
私達には「恐怖」を乗り越える力がある。
自分の弱さに打ち勝つメンタルがある。
では「恐怖」を乗り越えるためには、
どうしたら良いのか?
弱い自分に打ち勝つメンタル
それは「勇気」である。
勇気こそが、
「恐怖」に打ち勝つ「唯一の力」であり
「最強の武器」なのだ。
勇気とは「人生を切り拓く力」である
あなたが、あなたが信じる「正義」「理想」の為に、
恐怖と対峙し、立ち向かうこと。乗り越えること。
もし、自分の中の「正義」や「理想」を認識しながら、
それを実際に行わないのであれば「勇気がない」ということである。
勇気とは「自分を正しく生きる力」であり、
「人生を切り拓く力」である。
そして大切なのは、
勇気は「鍛えることができる能力」だということ。
出せば出すほど慣れていき「勇気の最大値」も大きくなってくる。
勇気を鍛えるほど、大きな決断もしやすくなる。
「勇気の力」が弱まってしまうと、ずっと何らかの「恐怖」に怯えながら、
自分の弱さに負けて何も行動しないという「逃げの人生」を送ることになる。
その最後に待っているのは「後悔」である。
そして、勇気には2つの種類がある。
自分の弱さに勝つための「2つの勇気」
①「動」の勇気
動の勇気とは、
「勇敢な行い」「不屈の精神」「豪胆さ」といった、
勇気の「動的な表現」のこと。
『武士道とは、死ぬことと見つけたり』
有名な言葉である。
武士はいかに生きるかと同時に、いかに死すべきかを考える。
武士には「正しい生き方」があるのと同じく「正しい死に方」がある。
向こう見ずに危険を犯し、自分の命を賭けて討ち死にすることは簡単である。
しかし、死ぬべき価値のない理由で死ぬことは、ただの「犬死(いぬじに)」である。
無論、天寿を全うして死ぬのが良いが、もし死なねばならない時に誇りを捨てて逃げ、
不正義の中に生きることは恥だとされる。
絶対に譲れない「大切なもの」「大切な人」の為に、
「いつでも死ねる勇気」を持つこと。
自分の尊厳を理不尽に扱おうとする「敵」に立ち向かうこと。
それが「動」の勇気である。
②「静」の勇気
勇気の「静的な表現」である。
「勇気」が心の中に定着すると「落ち着き」が生まれ、
常に「平静な精神」を保つことが出来る。
何があっても驚いたり、動揺したり、狼狽することがなく、
深遠な冷静さを失うことがない。
『動かざること山の如し』
大きな災害に遭遇しても、死の脅威に直面しても、
差し迫る危険の中に身を置きながらでさえも、
心を冷静沈着に保ち、平静さを失わないこと。
ただ冷静に、その時の最善を尽くす。
現代社会に生きる我々には難しいことだが、
優れた武士はこういった精神を持って生きていた。
死の恐怖を笑い飛ばす「真の余裕」があった。
何があっても押しつぶされることのない「大きな心」と、
肚をくくった人間が持つ「覚悟」
それが「静」の勇気である。
ちなみに、私が「静」の勇気で思い出すのはプロ野球選手時代の松井秀喜である。
彼は、どんな状況においても冷静に、心を乱すことなく打席に立ち続けた。
MLBワールドシリーズ決勝の最終第6戦では、なんと一人で2点本塁打を含む6打点を記録した。
ここ一番の、とんでもないプレッシャーや恐怖が襲ってくる勝負の舞台で、彼は最高の結果を叩き出した。
9年ぶりの世界一に貢献し、日本人選手初のワールドシリーズMVPに選出されるという伝説をつくった。
勇気を持って「自分の弱さ」に打ち勝ったのだ。
彼は「不動心」という本を出版していて、私も拝読したことがある。
「現代の武士」と呼べるような人間は少ないが、松井秀喜は本物である。
自分に負けない「勇気」を持とう
人間には「無限の可能性」がある。
あなたが勇気を出せば、何でもできる。
「夢」や「目標」は、達成するためにある。
しかし、
「夢」に「勇気」が伴わなければ「絵に描いた餅」で終わってしまう。
「夢」+「勇気」=「成功」である。
「勇気」という燃料がなければ、
人間は自分を奮い立たせ、挑戦することができない。
常に、勇気の力を鍛えることを意識していきたい。
「でも、今まで自分の弱さに負け続けてきたから…」
そんな方もいるかもしれない。
私もそうだった。
ただ、そんな人こそ「大きく変化する可能性」を持っている。
「今まで(過去)」と
「これから(未来)」は、何の関係もない。
今まで臆病に生きてきた人間が、これからも臆病である必要はない。
自分の人生を、諦めなくていい。
「2つの勇気」を意識して、
目の前の現実と真正面から向き合っていこう。
明日は明日の風が吹く。
「勇気を出す方法」についてはこちらの記事をご覧ください
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