【失敗は無駄?】正しい「失敗」の活かし方
今年も、もう4月である。
新社会人として、新しい職場・環境で忙しくされている方も多いだろう。
長い実習などは、最初は不安と恐怖でいっぱいになるもの。
前向きに頑張ろうと思っても、憂鬱な気分の方が勝ってしまって、
虚しい日々を送っている人もいるかもしれない。
学生という立場から、社会という大海の荒波に飲み込まれ、
適応に苦しみ、将来に対する不安に苛まれている人もいるかもしれない。
当然、仕事の右も左も分からないのだから、
たくさん失敗をする事だろう。
凡ミス続きで、落ち込んでいる方もいるかもしれない。
そういった「迷える新社会人」に、私からのアドバイスを贈りたい。
あなたが「失敗」した時、
それはつまり「課題をクリアする為のヒント」が貰えたということ。
失敗とは「成長の糧」である
どんなに超一流のプロフェッショナルでも、
「最初は初心者」である。
誰もが数多くの「トライ&エラー」を繰り返し、成長していく。
過度に失敗を恐れるのは、失敗というものに対して「誤った捉え方」をしているから。
多くの人が「失敗」を異常に恐れる。
「失敗したら、バカにされる」
「失敗したら、怒られる」
「失敗したら、自分の存在価値がなくなる」
こういった風に。
ここで、イチローの名言を引用したい。
(日米通算4000本安打を達成した時に)
誇れることがあるとすると、4000のヒットを打つには、
僕の数字で言うと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。
「それ」と常に、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、
誇れるとしたらそこじゃないかと思いますね。
まったくミスなしで目的地に辿り着いたとしても、
深みは出ない。
失敗を過度に恐れて、1歩を踏み出せなくなってしまっては本末転倒である。
失敗を気にしたり、気に病んだりする必要はないのだ。
「失敗」というものについて考える
大切なことは「失敗した時、きちんと振り返っているか」
「失敗を次に活かせるように、正しく分析できているか」である。
失敗の種類
失敗の種類は、大きく3つに分けられる。
- 織り込み済みの失敗。ある程度の損害やデメリットは承知の上での失敗。
- 結果としての失敗。果敢なトライアルの結果としての失敗。
- 回避可能であった失敗。ヒューマンエラーでの失敗。
1. と2. の失敗は、「失敗は成功の元」となり得る失敗である。また、この2つの失敗については、状況・結果などがある程度予測できたり、経験からくる的確な判断で対処したりすることができる。
3. の失敗は、失敗からさらなる悪循環が生まれる失敗である。予想しておけば回避可能であったにも関わらず、予想をしていなかったためにパニックに陥り、ますます、状況を悪くしてしまう。
1. と2. の「失敗の原因」を分析すると、
「不運が原因の失敗」「技術や能力の不足による失敗」
「計画に欠陥があった事による失敗」などが考えられるだろう。
3.に関しては「防ぐことができる失敗」である。
これは「教訓」とする事は出来るが、
深刻な事態を引き起こしてしまう可能性もある。
「ヒューマンエラー」を少なくしていくことが、
どんな仕事においても求められる。
失敗は「結果」ではなく「過程」なのだという考え方がある。
そしてそれは、あらゆる成功者を観察してみると明白な事実だといえる。
目的を達成しようと進む中で失敗があったとしても、
その過程で学ぶことが多く、最終的な成功に結び付けることができる。
再び、イチローの名言を引用する。
自分のしたことに人が評価を下す。
それは自由ですけれども、それによって、自分が惑わされたくないのです。
結果を出せないと、この世界では生きていけません。
プロセスは、野球選手としてではなく、人間をつくるために必要です。
そうなのだ。
物事の「結果」は、あなたの「価値」とは関係がない。
しかし、この世界は「結果主義」というジレンマを抱えている。
サラリーマンなどは、その最たるものである。
結果を出せなければ、虫ケラのような扱いを受けても文句は言えない。
どれだけバカにされて見下されても、文句は言えない。
私自身が、身を以て体験したことだ。
そして、私がサラリーマン時代に辿り着いた結論は、
「結果に左右されるな!しかし、徹底的に結果にこだわれ!」
である。
失敗の教訓を胸に刻み、次の結果に繋げれば良いのだ。
周囲を黙らせるほどの、圧倒的な結果で。
人間は「感情の生き物」である。
失敗して落ち込んでも構わない。
だが、すぐに切り替えて、分析し、次に活かしながら、小さな成功体験を積み重ねていく事が大切である。
日々、人間は変化している。
少しずつでも、成長した自分を誉めてあげよう。
明日は明日の風が吹く。