コーチとは「現代の騎士」である
ようやく、ここ数年で市民権を得てきた感のある「コーチング」だが、
まだまだ知らない方も多いと思う。
よく勘違いする方がいるが、一般的な「コーチ」と、
コーチングを行う「コーチ」は、全く意味合いが違う。
一般的な「コーチ」は「教える人」である。
「コーチング」はもっと高度な、時に芸術性さえ感じさせる技術である。
「コーチング」とは、
クライアントの「現状の自分」を超えたところにある「ゴール」を達成するために、
クライアントが持っている「不要な思い込み」「不要な信念」を解消し、
最短最速で目標達成に導くための強力なスキルである。
その為には、誰よりもコーチ自身が、
常に、高い「ゴール」を設定し、成長し続けるという姿勢が求められる。
コーチングとは「体感するもの」なので、
コーチ自身の「在り方」が、コーチングの成否を大きく左右するからである。
私自身も、常に現状の外にある「ゴール」を追い続け、
自己研鑽に励んでいる。
私の場合は、少し異常というか、
「自己成長」に取り憑かれているようなところがある。
元々そういったタイプではなかったが、
会社員時代に心が折れるような「逆境に遭遇した経験」をキッカケに、
何らかの「スイッチ」が入り、そのまま戻らなくなった。笑
それ以降、現状に全く満足せず、まるで空手の100人組手のように、
何かを達成したら「はい、次!」と延々チャレンジを続けているので、
時々心身ともに、パンク寸前になることがある。
そんな時は、どうするか?
私の場合は「走る」のである。
ただ何も考えずに、走る。
私にとって「走ること」は「心身を整え、癒す手段」である。
走ることで「自己肯定感」や「自信」を強化させることができるし、
「心のノイズ(雑念)」をすっきりとクリーニングすることもできる。
実は、ジョギングには「瞑想」と同じ効果がある。
走っている時、人は「無心」になれるのだ。
実は、今年の1月に引っ越してから、久しくジョギングをしていなかった。
気付けば、体重もかなり増えていた。笑
何でもそうだが、やっている期間は特に苦もなくやれるが、
けっこうな間が空いてしまうと、
再び始めることに、かなりの心理的なエネルギーを要するものである。
そして今日、久しぶりに走った。
会社員時代、(武道家の)内弟子時代も着ていたランニングウェアを着て。
あの頃の「ストイックな日々」の思い出が蘇り、気が引き締まる。
淀川の堤防沿いを、5㎞ほどスロージョギングしたのだが、
走り終えると、心がスッキリしていた。
ここ最近の「迷い」や「葛藤」といった、
自分自身の「弱さ」が創り出した幻想が、消えていた。
クライアントに「圧倒的な価値」を提供する為に、
コーチは「自分自身の問題」を、全てクリアにしておく必要がある。
コーチとは「騎士」のようなものだ。
殉教者のような「理想」と「覚悟」を持って、クライアントと向き合っていく。
自己の内面を統率し、律する能力が並外れていなければ、
クライアントをコーチングする資格はない。
忘れていた訳ではないが、そんな事を再認識した。
明日は明日の風が吹く。