【我慢は良くない】「必要な我慢」と「無駄な我慢」の違いとは?
お疲れさまです。
今回のテーマは「我慢」について。
この記事を読んでいるあなたも、
「仕事」や「人間関係」で我慢をすることが多いかもしれない。
しかし、我慢には「必要な我慢」と「無駄な我慢」があることを知らない人が大半ではないだろうか?
人生に我慢は必要?
突然ですが、あなたは「我慢」が好きですか?
「我慢が大好きです!」答えた人は、特殊な性癖の持ち主である。
そのまま独自路線を突っ走っていただきたい。
冗談はさておき、
「我慢が嫌いです」「我慢が苦手です」と答える人が大半だと思う。
もちろん、私も我慢が嫌いである。
ハンバーガーの肉の裏に隠されたピクルスくらい嫌いである。
しかし、人がその一生において、一切何も我慢せずに生きていくことは難しい。
実際、この現代社会を生きていく上で、ほぼ全ての人が、何らかの「我慢」をして生きている。
あなたは今日1日の中で、何かを我慢したはずである。
我慢し続けるのはよくない
しかし当然ながら、我慢には「限界」がある。
例えば、寝るのを我慢し続けたり、食べるのを我慢し続けると、人は最後には死んでしまう。
これはわかりやすい。
では、会社で上司から苛烈なパワハラを受けていて、それをずっと我慢し続けたら?
ブラックな勤務を、延々と続けていたら?
学校でイジメられているのを、ずっと我慢し続けたら?
それで死んでしまう人は、後を絶たない。
何でも我慢をすればいいかというと、それは違う。
それでは「我慢の人生」になってしまう。
そしていつしか「我慢の限界」を迎え、破綻する。
「必要な我慢」と「無駄な我慢」
我慢について、知っておくべき大切な事がある。
我慢には「必要な我慢」と、
しなくていい「無駄な我慢」がある。
我慢とは「精神的な体力」を消費する行動であり、限界値が存在する。
「必要な我慢」も「無駄な我慢」も、やり続けると疲弊する。
つまり、
いかに「必要な我慢」を優先し、
「無駄な我慢」を減らしていくかが重要になってくる。
「必要な我慢」とは
- 自分の人生に必要であり、必然性のある我慢
- しっかりとした「意味」のある我慢
- 自分を成長させる為の我慢
- 「学び」を得る為の我慢
- 自分の将来に繋がる我慢
肉体的・精神的な苦痛を伴うが、相応の「成果」や「価値」があるもの。
あなたが望む目標を達成する為に、避けて通る事ができない我慢。
そして、その目標が大きくなればなる程、我慢する事も増える。
「時には我慢も必要だ」という時の我慢。
それは、文字通り「必要な我慢」である。
「我慢の先」に何があるか?
我慢する時に重要になってくるのは、
「我慢の先に何があるのか?」というヴィジョンである。
「必要な我慢」の先に、望ましい未来が待っている。
人間は「目標のための我慢」なら、主体的に取り組める。
目標を達成する為の「希望」「期待」があると、目の前の我慢に対して、大きなストレスを感じなくなるのだ。
「自分は、何の為にこれをやるのか」という意識をしっかりと持つ事が大切である。
場合によっては、たくさんの「誘惑」「スマホ」「ネット」「テレビ」「友人からの誘い」「行きたいイベント」などを「我慢」する必要があるし、やりたくないが、目標を成し遂げる為に「我慢」してでもやるべき事をやる必要がある。
「スキルアップの為の練習」「知識を広げる為の読書」「人付き合い」など。
厳しい先生、上司などと関わる時、あなたが「良い我慢」だと思うのなら、自分を鍛える為に積極的に関わっていこう。
「良い我慢」は将来に繋がるものだから、大変であっても逃げずに、しっかりと向き合って乗り越えていきたい。
「無駄な我慢」とは
- 自分の人生に不要であり、必然性のない我慢
- 何の「意味」も「価値」もない我慢
- 自分の成長とは関係のない我慢
- 何の「学び」にもならない我慢
- 自分の将来に繋がらない我慢
何の役にも立たない、ただただ疲弊するだけの不毛な我慢。
「意味」も「価値」もなく、夢にも将来にも繋がらない「我慢」である。
よく勘違いをしている人がいるが、我慢とは「自己否定」することではない。
自分を否定したり、傷付けることとは違うのだ。
そして、我慢とは他者からの「利己的な都合」「誹謗中傷」「言葉の暴力」に耐えることでもない。
無駄な我慢はしなくていい
「悪い我慢」を続けたところで、誰も幸せはならない。
不毛な時間が過ぎ、自分の可能性が潰れされていく事になる。
「悪い我慢」を続けても、目標の実現には繋がらない。
自分に言い訳して「悪い我慢に耐える自分」を正当化してないだろうか?
悪い我慢を続けていると「なぜ、自分だけがこんな思いをしなければいけないのか」
という被害者意識を持ったり、「怒り」「恨み」「憎しみ」「哀しみ」といったネガティブな感情に支配されるようになる。
ストレスが心を圧迫し、イライラして、段々と性格まで悪くなってくる。
自分が生きている意味が分からなくなり、人生を絶望しながら生きる人も多い。
人は、時として
勇気を出して決断したり、毅然とした対応が必要な時に、
「我慢するほうがラクだから」と、無駄な我慢をする。
しかし、それでは「自分の人生」を生きることはできない。
「悪い我慢を断ち切る勇気」を持ち、自分の人生を改善させていく必要があるだろう。
結論:「必要な我慢」はしなければならないが、無駄な我慢はよくない
いかがだっただろうか?
今あなたが耐えていることは、「必要な我慢」「無駄な我慢」のどちらだろうか?
自分の人生を戦略的に成功へと導く為には、「必要な我慢」と「無駄な我慢」をしっかりと区別することが大切である。
「必要な我慢」なら、弱音を吐かず、しっかりと向き合っていこう。
今は大変でも、近い将来、きっと報われる時が来るだろう。
しっかりとした「目的意識」を持ち、我慢を楽しめるようになるのが理想である。
結局は「我慢」とは「どこに視点をフォーカスしているか」の話なのだから。
目先の視点ではなく、未来を見ていきたい。
もし「無駄な我慢」なら、できるだけ早めに手を打ち、改善させていこう。
そして「我慢させられている」という意識ではなく、
「私が望む未来に辿り着くために、この我慢を選択する」という意識を持つこと。
「自分の人生を、自分の意志で選択する」
これが、自分の人生を後悔のないものにする為の、大前提の意識である。
明日は明日の風が吹く。