「理不尽なことはある」という前提で生きる
会社で仕事をしている時に限らず、
長い人生を生きていると、
それなりに理不尽な思いをしたり、
「そりゃないだろう」
と言いたくなるようなことがある。
例えば、
あなたが職場で困っていたAさんを助けたとする。
Aさんは「ありがとうございます」と感謝する。
後日。
あなたが困った時に、Aさんはあなたを助けてくれなかった。
もしくは(自分の職務だから仕方なく)、
嫌そうにブツブツ文句を言いながら助けてくれた。
「迷惑なんで、自分の仕事はちゃんとしてくださいね」
あなたは、呆気にとられる。
あなたが、会社に対して身を粉にして働いたとする。
責任感を持って、率先して働いたとする。
しかし無理が祟って体を壊してしまい、長期離脱を余儀なくされる。
すると勤務担当に「社会人としての自覚が足りないんじゃないか」と文句を言われる。
あなたは、言葉が出てこない。
こういったことは、いくらでもあると思う。
約束を反故にされたり、
恩を仇で返されたり、
義理や礼節を尽くしたのに、綺麗さっぱり忘れられたり・・・
しかし、そこで腹を立てても仕方ないのだ。
人間という生き物は、
基本的には、
自分の不都合は「棚に上げる」ものだし、
目先の「損得勘定」で生きるものである。
ズルい生き物なのである。
しかし、その「ズルさ」がどこから来るかというと、
結局は、人の「心の弱さ」なのである。
そこをわかっていたら、
腹を立てることもないし、
不毛な論争・言い争いをする機会は減ってくる。
人の弱さに、寄り添うこともできる。
「良い悪いではなく、人とはそういうものだ」
良い意味で感情を排し、
クールに考える必要がある。
しかし、周りの人間がそうだからといって、
自分もそうなって良いという理由にはならない。
良い部分を見倣い、
悪い部分を教訓とする。
あなたが成長したいのなら、
変わりたいと思うのなら、
絶対に必要な意識である。
明日も頑張っていきましょう。
過ちがないことではなく、
過ちを改めることを重んじよ。
吉田松陰