「ボーッとする」は必要だが「ボーッと生きる」は危険

さっきお昼ご飯を食べて、
そこから少し、ボーッとしていた。
身体の疲れが出ているのだろう。
皆さんも日常生活において、
時々「ボーッとすること」があるかと思う。
時間が経ち、ふと我に返って、
「あれ、ボーッとしちゃった。無駄な時間を過ごしたな」
なんて思ったりするかもしれない。
しかし「ボーッとすること」は、
実は必要である。
(心因性の病気、健康上の理由からボーッとしてしまう場合には注意が必要だが)
「瞑想」というものがあるが、
瞑想は宗教的な儀式などではなく、
ストレス解消や思考整理の効果的な手段である。
頭の中を空っぽにし、過去や未来に対する想念から解放され、
意識内に蓄積していた「思考のゴミ」を掃除する作業である。
頭の疲れがスッキリ取れて、意識の活力を取り戻すことができる。
Googleやインテル、ゴールドマンサックスといった大企業で、
瞑想が積極的に採り入れられているのは、そういった理由があるから。
そして「ボーッとすること」も、一種の瞑想である。
「何も考えていない」状態を創ることによって、
頭の中で続いている「モヤモヤした想念」
「思考のゴミ」を消去することができる。
その後の仕事に対して、
フレッシュな意識の状態で臨むことができる。
ある時に「ボーッとすること」は、
身体が必要に応じて発する生理反応なのである。
そういったサインを感じたら、
休息する意味でも「ボーッとする時間を持つ」ことが、
望ましいといえる。
しかし「ボーッと生きること」は、
危険である。
時々、頭の中を空っぽにすることは、
健全な思考、生きる活力を保つために必要だが、
人生を空っぽにしてはいけない。
「ボーッとすること」とは、
似て非なるものである。
自分のやるべきことを見ようとしない。
自分のやりたいことを追い求めない。
ボーッと生きていると、全てがぼんやりと、
あやふやなものになってしまう。
何か達成したい「目標」があっても、
そこに達するまでのプロセスが明確化せず、
ただただ「いつか、こうなったらいいな」という
「願望」で終わってしまうだろう。
「ボーッとすること」は有意義だが、
「ボーッと生きること」は空虚である。
私たちが生きている、
この日々は、ずっと続かない。
なんとなく「ずっと続くだろう」
という幻想を抱いてしまいがちだが、
いつか終わりを迎えるものである。
その時々でやれること、
タイミング、チャンスがある。
ボーッと生きていては、
何に気付くこともなく、過ぎ去ってしまうだろう。
「手の届かない過去」になってしまう前の、
「今、この時」に、自分がやれることをやって生きたいと思う。
明日は明日の風が吹く。
時間を浪費してはいけない。
人生は時間の積み重ねなのだから
ベンジャミン・フランクリン
Comment
早速拝見しました。
相当壮絶な経験してきてますね。
こんな私が言うのも偉そうかもしれませんが、ほんとお疲れ様です。
ほんと上司なんて、とりあえず怒鳴るのが仕事と思ってる人ばかりですもんね。すごく国系の臭いがします。
前は私もよく怒鳴られてましたし。
そして、この人についていきたい!!ていう方は、よく怒られていたのを思い出します。
興味あればでいいんですが「宛メ」て知ってますか?
色々、苦しんでる人が集まるとこなんです。分析には役立つかもしれませんね。
昔はもっと使いやすいサイトでしたが今は情報社会でSNS化してますが暖かい方もいます。
色々勉強して苦しんでる人を救ってあげてください!!凄く応援してます。
また遊びにきますね。
元プリズンガードさん、応援ありがとうございます(^^)
励みにさせていただきます☆