幸せの基準
お疲れさまです。
ここ数日ですっかり寒くなり、冬めいてきました。
毎年思うのだが、秋が短いですね。
もう少し堪能したいものです。
今年は、私の人生において「激動の1年」と呼べるもので、
本当に波乱万丈でめまぐるしい毎日を送っていたが、
やっと一息、区切りがついたのが一昨日である。
葛藤や迷い、自問自答の日々だったが、
とても楽しかったし、とんでもなく良い経験になった。
何より、大きく成長することができた。
今は気負いから解放され「穏やかな日常」を過ごしている。
夜になって空腹だったので、一人で近所のお好み焼き屋に行き、
お好み焼きとビール、
名物メニューのチャンジャ奴(冷奴の上にチャンジャをのせ、ごま油とねぎをかけたもの)をいただいた。
何を考えるでもなく、一人でお好み焼きを食べ、
ビールを飲む。
外は暗いが、店内は明るく、軽快な音楽が流れている。
ふと、自分が過ごしているこの時間を「幸せだな」と感じた。
穏やかに過ぎていく時間を「幸せだな」と感じた。
お好み焼きがおいしい。幸せ。
ビールがおいしい。幸せ。
一人で食べたいものが食べられる。幸せ。
昔流行った歌の歌詞に「なんでもないようなことが幸せだったと思う」
というものがあったが、本当にそう思う。
ここで、
「修行僧じゃあるまいし、そこまで【幸せの基準】を下げられないよ・・・」
「そんなものは【当たり前】だから幸せに感じない」
「もっとお金があって」
「もっと欲しいものを手に入れて」
「もっと他人から好かれたり、評価されないと!」
あなたは、そんな風に思ってしまうかもしれない。
本当は幸せに「基準」なんかないのである。
あなたが、他人の「何か」と比べているだけなのだから。
幸せになるために大切なことは、
目の前にある幸せに「気付く」
目の前にある幸せを「感じる」
これだけである。
物理的に目の前になかったとしても、
遠く離れていたとしても、関係ない。
「幸せ」と「感謝」は相関関係にある。
たくさん感謝できる人は「幸せに気付く」コツを心得ている。
幸せな人は、「感謝できる視点」を持っている。
とはいえ、仕事や人間関係のストレスを抱えていると、
頭の中がごちゃごちゃしてしまって、
「幸せ」を感じ辛い意識になってしまう。
私もそうだった。
「幸せ」に気付くためには、
「穏やかな意識」が必要である。
心が疲れていると感じたら、
パソコンやスマホは一旦置いて、
ひとり、散歩にでも出てボーッとしてみるのも良いかもしれない。
もしくは、溜まっていた雑事を淡々と片付けるのも良いかもしれない。
「過去の後悔」
「未来の不安」
そういったものは、所詮「幻」である。
実存しているのは「今」だけなのだから。
穏やかな意識を保ち、
感謝とともに幸せを感じながら、
日々を過ごしていく。
これ以上に大切なことは、ないだろう。
明日は明日の風が吹く。