【男子必見】「凄みを伴ったダンディズム」を追求する
世の中の男性が「草食化」されていると言われて久しい。
「草食系男子」と呼ばれ、まるで流行りのように扱われているが、
日本という国、社会の「歪みの病巣」のような気がしてならない。
そういった人達にたくさんお会いして、話をさせていただいたこともあるが、
「肉食系」だとか「草食系」だとかの区分け以前に、
大元の「人間力」が低下していると感じる。
ちゃんとした「人格」を積み上げるための「教育」を、
受けてこないまま、大人といわれる年齢に達してしまった。
そういった印象を受けてしまうのだ。
勉強は習ってきたが、人との関わり方を学んでこなかった。
自分の人格を成長させるための教育を、受けてこなかった。
会話はできる。仕事もしている。
しかし、内面に空虚さを感じる。
表情に覇気がない。
ボンヤリと、漫然と流されるように生きている。
いや、ただ「生かされている」と言った方がいいだろう。
だが、それも仕方ないのかもしれない。
この現代社会の一体どこで、
人格を積み上げる教育を受けられるというのだろう?
親や教師でさえ、そういった教育を受けてこなかった人間が大半だというのに、
一体誰が教えられるのだろう?
そういった状況を自覚して、自分から積極的に学びを求めるか、
よほど「人との出会い」に恵まれなければ、難しいといえる。
挙げ句の果てには、流行りの映画に出てくる
「ありのままでいい」なんていう言葉が曲解され、
「自己研鑽に励まなくてもいい」「そのままでいいんだ」
という「言い訳」に利用されている。
本当に「ありのまま」でいいのなら、
動物のように生きればいいのである。
己の欲望だけに突き動かされながら、生きればいいのである。
人間も元来、動物である。
「動物としての生」から脱却し「万物の霊長」として君臨できるのは、
これまでの人類の歴史が積み上げてきた「教育」の賜物である。
誰しもが「ありのままの状態」から「教育」によって自己を確立する。
成功と失敗を繰り返し、経験を積み、人間的に成長していく。
私の尊敬する方が「自分の弱さを認め、受け入れ、諦める」ということを仰っていたが、
それは、気が遠くなるほどの努力、自己研鑽に励んだ結果、
たどり着いた結論である。
やり切った末に「体感」したことである。
特に男性には、自戒を込めて言いたいが、
いざという時、
大切な人を守れる程度の「強さ」がなければ、
生きている意味がないのではないか。
それは肉体的な「強さ」に限ったことではなく、
「精神的な支柱としての強さ」や、
大切な人を助けるための「甲斐性」なども含まれる。
もう「伝統」は失われてしまったが、
昔の男性には「凄みを伴ったダンディズム」があった。
フランスの批評家・詩人、シャルル・ボードレールは、
ダンディズムを「美学を生きた宗教へと高めること」と定義した。
そう、宗教的なまでの「美学」こそがダンディズム。
「生き様」ともいえる。
ともすれば、
「独りよがり」や、
「やせ我慢」のことでもあり、
「粋の哲学」ともいえる。
「侍」「武士道」という生き方も、
「ダンディズム」に帰結するものである。
現代に生きる弱体化した男性、
悩めるサラリーマンに必要なのは、
「凄みを伴ったダンディズム」を獲得することである。
無論それは、一朝一夕には身に付くものではない。
「人生を生きる覚悟」
「生き様の美学」
「孤高の矜持」(安っぽいプライドではなく)
そういったものを積み上げていく中で、
樽の中のウイスキーのように、少しづつ深みを増し、
醸成されていくものである。
越えるべきハードルは高いかもしれないが、
そこを目指す価値はある。
何より、生き方として「格好いい」ではないか。
「格好いい生き方」
シンプルに、憧れませんか?
明日は明日の風が吹く。
Television – Marquee Moon