人生は「人を助ける物語」
昨日仕事をしていて、
思ったことをシェアしたい。
「人に助けられる側」の意識で生きること
「自分のことだけやる」意識で生きること
「人を助ける側」の意識で生きること
3つある。
私は、
「人を助ける」という生き方が、
最も充実した、幸せな人生を送ることができる。
そう考えている。
だが「人を助ける」ということについて、多くの人が誤解していると感じる。
苦しんでいる人や悩んでいる人に「自分の正義(価値観)」を押し付けても、
ただ迷惑なだけで終わったり、逆に気を遣わせてしまうことの方が多い。
相手に対する、
「気遣い」
「想像力」
「思慮深さ」
「思いやる心」
そういったものを持ち合わせていなければ、
「お節介」
「大きなお世話」
「ただの自己満足」
そういったものに変質してしまう危険性があるし、
下手をすれば「暴力」になってしまうこともある。
一口に「人を助ける」といっても、
本当の意味で「何がその人の助けになるのか」
を考える必要がある。
あえて、直接的に「助けない」ことが、
その人自身の自立を促す「助け」になることもあるのだから。
ただ、どういった方法を取るにせよ、
「意識」は相手に寄り添っている。
慈愛を持って、寄り添っている。
相手に寄り添うだけで「助け」になることも多い。
もう当人の中で「答え」が決まっているが、
自信がない、そんな時。
ただ、背中を押して欲しい時もあるだろう。
心が傷付いた時、ただ隣でいてくれる存在が、ありがたかったりする。
人を助けるにも「センス」が要る。
あなたなりの、
シンプルでセンスの良い「人を助ける方法」
を模索していくことが大切である。
そして、
人を助けることは、自分を助けること。
人を助けることが、自分を助けることに繋がる。
ただ、人を助ける時は「一切の見返り」を求めないこと。
これは鉄則である。
見返りを求めた瞬間に、それは「取引」に成り下がる。
損得勘定の生き方である。
「自分の人生なんだから、自分のことだけやっていればいいんだ」
そんな人も多い。
「他人を助けることにメリットを感じない」
「無駄な労力を使いたくない」
しかし、本当にそうだろうか?
「自分のことだけやる生き方」は、大きなパワーを生み出さないし、循環しない。
そして、そういった生き方を選択するのは、
「過去の傷付いた経験」を引きずっているからだといえる。
「他人は他人。自分のことだけやっていればいい。」
そう思うようになった原因が、どこかにある。
他人を見切って、切り捨てていく生き方は頭打ちにしかならない。
そういった生き方をしていると、足を引っ張る人間も出てくるだろう。
例えば、
優れた経営者、組織のリーダーは、部下の家族に対しても気を配るものだ。
部下の家族が病気になって困っている場合には、
人脈を使って、できる限り良い病院を紹介する。
部下に、少しの休暇を与えることもあるだろう。
そうすることで部下の心配が小さくなり、最終的に仕事にも集中できるようになる。
部下はリーダーの気遣いを意気に感じ、仕事に励み、優秀な側近に育つだろう。
結局は、リーダーの気遣いが優秀な部下を生み出し、
会社の業績が伸びることになる。
そういった生き方を継続していくと、損得勘定を抜きにして、
「自分についてきてくれる人」が増えていく。
無駄なことではなく、
実は最も「幸せの原則」に基づいた行動なのである。
自分ができる範囲で周りの人を助けることで、自分自身が助かることになる。
あなたが関わる全ての人は、
「鏡」に映った「あなたそのもの」なのだから。
明日は明日の風が吹く。