思い出の詰まった家に、さようなら

今月中に、住んでいる家を引き払う。
環境を変え、新しい人生のスタートを切るために。
賃貸契約書を引っ張り出して見てみると、
この家に引っ越して来た時は、25歳だった。
なんだかんだで、12年間も住んでいたことになる。
引っ越しの準備をしながら、少し感傷的な気分になった。
25歳から37歳の今まで、語りつくせないほど色々なことがあった。
「人生という道」を旅する最中、たくさんの人と出会い、
共に歩み、そして別れて行った。
一番辛かった時期に、支えてくれた女性がいた。
私が会社で大きなミスをして「どん底の状態」まで落ち、
体調を崩して休職していた時期も、傍にいて励ましてくれた。
結婚を意識して付き合い始めた頃、彼女は全く料理と家事が出来なくて、
さすがに「それはどうかと思うよ」と、少しお説教したことがあったのだが(私は料理上手)、
その時に「頑張る」と言って、少しづつ家事を手伝ってくれるようになった。
その内、ハンバーグを作るのが得意になって、
私が遅くまで仕事をして疲れて帰った時も、
ハンバーグとポテトサラダを作って待っていてくれた。
仕事で殺伐とした心が、暖かいもので満たされたような気がして、嬉しかった。
この家には、彼女との思い出が詰まっている。
夏に、2人で白浜に旅行に行った思い出。
お互いの誕生日を祝った思い出。
クリスマスに、街でイルミネーションを見た思い出。
喧嘩をして、仲直りした思い出。
何でもないことで、楽しく笑い合った思い出。
長い人生の、ある時期、
自分と同じ道を歩んでくれた、彼女との思い出が。
もう、今は別々の道を歩んでいるけれど、
きっと、どこかで元気でやっているのだろう。
過ぎ去った時間は、戻らない。
人は、過去を振り返って「今の自分なら、上手くやれるのに」
そうやって過去に縛られ、後悔し続けることがある。
だが、そんなことをする必要はない。
その時のあなたに出来ることを、一生懸命やったのだ。
全てが、然るべきタイミングで、意味のあることなのだから。
過去に縛られて、前を向けなくなってしまうこと。
それは、大切な思い出に対する冒涜である。
そんなことは、誰も望んでいない。
ただ、感謝とともに「今」を歩き続ける。
それでいいのだ。
別れがあるから、出会いが美しい。
次は、どんな物語が待っているだろう。
さあ、また歩き出そう。
明日は明日の風が吹く。