陰キャ専門ビジネスコーチ

「3.11」から6年経って思うこと

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「仕事で結果を出すスキル」「無敵の人間関係を創る技術」「ストレスリーのマインドセット」「自分の能力を発揮する技術」を教える専門家。「職場性ストレス」の第一人者。自身も元国営企業に17年間在籍。派閥や忖度が横行する弱肉強食の世界で、異例の若さで管理職に昇進。300人以上の部下をマネジメントし、あらゆる「仕事のトラブル」「人間関係の問題」を解決してきた経験を持つ。活動開始から5年間で様々な業種の会社員/管理職、起業家、経営者、コーチ/カウンセラーなど約500名をコーチング、1500人以上にサポートを行う。コーチングの世界的権威から学んだメソッドと、自身の壮絶な人生経験に裏打ちされたコーチング技術は、社会人が抱える悩みや問題を解消し「現実の成功/内面の成長」を掴む技術として定評がある。
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3.11

 

2011年(平成23年)3月11日 午後2時46分。

「東日本大震災」から6年。

死者15893人、重軽傷者6152人。

そして、行方不明者2553人(2017年3月時点のデータ)。

 

 

その当時、私は大阪在住のサラリーマンとして、

新幹線清掃の会社に籍を置いていた。

(「私がやっていた仕事について」を参照)

 

夜勤明けだったので、いつも昼過ぎまで寝ていることが多いのだが、

なんとなく部屋が少し揺れた気がした。

 

その時はあまり気にせず、夕方に会社へ出勤した。

何か様子がおかしい。

職場の詰め所に数台あるテレビの前で、

みんなが、どこか呆然としながら無言でニュース番組を見ている。

同僚のオッチャンに「何かあったんですか?」と、聞いてみた。

オッチャンは、私の方を見て言った。

「おぅ・・・。とんでもない事になっとるぞ」

 

テレビのモニターを見てみる。

東北の市街地を、津波が飲み込んでいく場面だった。

今まさにリアルタイムで、巨大な黒い津波が、街を覆っていく。

たくさんの家が、まるで船のように流されていく。

たくさんの車が、まるでゴミのように流されていく。

 

 

とんでもないことが起きている。

 

 

しかし、正直この時点では、何か現実味がなかった。

大阪は、いつもの「平和な日常」だったし、

関東や東北で起こっていること、惨状の規模が大き過ぎて、

心のどこかで「何かの冗談じゃないの?」と思いたい自分がいた。

 

その日の夜は、新幹線のダイヤがメチャクチャに乱れ、

まったく仕事にならず、職場の詰所に全員が待機していた。

全員が固唾を飲んで、テレビのニュース番組を見ていた。

 

時々入線して来た列車は、緊急事態の時だけの「簡易清掃」という、

最低限の清掃作業をして、速やかに送り出された。

 

指令系統を担当する「当直室」に各所から連絡の電話が鳴り響き、

騒然とした雰囲気に包まれている。

 

その時私は、急遽「外部作業」の応援に回っていた。

新幹線の水回りの抜き取り、補水作業である。

とにかく、いつもの車内清掃をしてる場合じゃない。

入って来た列車を、すぐに出さないといけない。

しかし水回りの作業は外せないので、急遽増援組が作られ、

私もそのメンバーに加わった。

 

外部作業を終えて詰所に戻る毎に、

判明している被害状況は大きくなっていった。

 

ニュースの番組のテロップで、

「宮城県北部で震度7を計測」

「国内観測史上最大の地震災害」

「岩手・宮城・福島を中心とした太平洋沿岸に大津波警報発令」

「岩手・陸前高田市 ほぼ壊滅状態」

「福島・南相馬市 約1800世帯 壊滅状態」

「海岸に200~300人の遺体があるとの情報」

「宮城県気仙沼市内の市街地を含む非常に広い範囲で火災が発生している模様」

といった文言が流れていく。

 

大地震に続いて、巨大な津波が押し寄せた。

東北の街は、壊滅的な被害を受けた。

だが、それでも悪夢は終わらなかった。

 

 

福島第一原発事故。

 

 

地震発生から数時間後に、

「福島第一原発が津波によって完全に停電し、機能停止」という速報が入ってきた時、

これまで起きた事故や災害とは、比べ物にならない程の「ヤバさ」を感じた。

かなり以前に、ソ連で起こった「チェルノブイリ原子力発電所事故」に興味を持ち、

原発関連の事故を一通り調べた事があったので、それなりに知識はあった。

万が一、原発がメルトダウンでも起こそうものなら、

もう永遠に取り返しがつかない。

しかし「チェルノブイリ級の事故」が、今まさに起きようとしている。

 

祈るような気持ちで見守るしかなかったが、

状況はどんどん悪化していった。

「原子力非常事態宣言が発令」

「福島第一原発の半径10キロの住民に避難指示」

「放射能のモニタリングポストで通常の数百倍にあたる放射線量が観測」

原発を冷やすために自衛隊が投入され、空からヘリコプターで注水を行った。

東電が、原発の格納容器の爆発を避けるために「ドライベント」という、

「中の圧力を逃すが、同時に大量の放射能も撒き散らす」

というギリギリの、もう正気の沙汰とは言えない

「禁じ手」に手を出したあたりで、

ドス黒い「嫌な予感」は、いよいよ大きくなっていった。

 

そして、

「福島第一原発の第1号機で爆発音」

「福島第一原発の第3号機で爆発音」

という速報が流れた。

 

思い出してみてほしい。

テレビを目の前にして凍りついた、あの瞬間を。

「映画」や「漫画」の世界ではない、この「現実世界」で、

あの時、私達は「日本が滅びる」という危機と直面した。

「日本が最も危機的状況にさらされた瞬間」を経験した。

「もしかしたら、みんな死ぬかもしれない」

誰もが「死の恐怖」をリアルに感じたはずだ。

 

 

あの時に、私達は思い知らされた。

今まで、平和に生きて来たことの「尊さ」を。

どれだけ「何気ない日常」が、幸せなものだったのかを。

「人は、いつ死ぬかわからないのだ」と。

「死生観」が激変するような出来事だったはずだ。

 

 

あれから6年。

まだ、私は生きている。

この身体は、自分の意思通りに動いてくれる。

「人を助ける」というミッションに気付き、

多くの人の力になる為に、自己研鑽に励むことができる。

自分の人生を、自分で切り拓くことができる。

 

しかし、それがいつになるかはわからないが、

やがて「人生が終わる時」が来る。

 

生きたくても生きられなかった人がいる。

志半ばで、人生を終えてしまった人がいる。

 

 

私にできることは1つ。

「真剣に生きること」だけである。

いつ死んでも後悔のないように、

今を一生懸命に生きること。

 

 

忘れてはならない。

あの未曾有の大災害を。

 

 

 

 

 

明日は明日の風が吹く。

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