【感情のシーソーとは?】「心のバランス感覚」を鍛えよう
人間は「感情の生き物」である。
例えば「怒りの感情」に支配されている時、
論理的かつ冷静な判断をすることは難しい。
怒りに任せて、取り返しのつかない行動に出てしまう場合もあるだろう。
「悲しみの感情」に支配されている時、
再び立ち上がり、前を向いて歩き出すことは難しい。
悲しみに囚われて、全てを諦めてしまう場合もあるだろう。
人の心は、シーソーのような「バランス」で成り立っているのかも知れない。
人生において「大切なこと」はたくさんあるが、
何よりもまず「心のバランス感覚」を磨くことが、
一番重要なことだと言えないだろうか?
それがなければ、何を学んだとしても「充分に使えない」のだから。
「心のバランスを保つこと」は、つまり「心の安定」である。
誰かから「心無い言葉」を浴びせられたり「不運な出来事」に遭遇したり、
そういった嫌なことがあると、
つい気分が落ち込んできたり、イライラしてきたりと、
心が一方に傾いて「バランス」が崩れてしまう。
そう、まるでシーソーのように。
しかし、あなたも知っていると思うが、
常に「心のバランス」を保ちながら生きるいうのは、なかなか難しい。
私達があらゆる物事を判断する時、そこには必ず「感情」が存在する。
「感情」は強いパワーを持っているので、論理的な「思考」を上回ることがある。
感情が思考を上回ってしまうと、心が揺れてしまうのである。
「感情のシーソー」のバランスを取る
例えば、
「孤独感(寂しさ)」と「連帯感(賑やか)」のシーソーがある。
ひたすら「孤独」に身を置くことも、ひたすら「連帯」にすがることも、
「心のバランス」を保つ上で望ましいことではない。
「一人」を楽しめない人は、例え大勢の中にいても、心から楽しむことは難しい。
一人を楽しめる人は、本質的に「孤独」ではない。
どうしようもない「孤独感」に苛まれている人は、
「心のバランス感覚」を磨くことで、改善することができる。
物事や、特定の人に対して「強い執着心」を持っていると、
それが「悩み」や「苦しみ」に繋がることがある。
そんな時は「謙虚」であったり、良い意味での「諦め」に意識をシフトしてみよう。
何かを我慢していたり、自分を押し殺して生きている人は、
「素直」「正直」といった方向に意識をシフトする。
そうすると「感情のシーソー」のバランスが取れてくる。
「感情のシーソー」のバランスを保つために必要なものは、
「俯瞰の意識」である。
自分を客観的に、冷静に見つめる能力。
それがあると「今、偏ってるな」と気付くことができる。
他にも「自制心」「判断力」「配慮」「柔軟性」「協調性」
といったものが役に立つだろう。
「何が起こるかわからない」のが人生である。
辛い時があっても、自分を見失いそうになっても、
「心のバランス感覚」を鍛えておけば、
危機的状況を切り抜けることができる。
それは、強い風を受け流す「柳の木」のように、
何が起こっても「受け流せる心」だといえる。
もちろん、感情を爆発させたり、表現することも大切である。
我慢ばかりでは良くない。
その辺のさじ加減もまた「バランス感覚」なのである。
あまり難しく考えずに、
ただただ「今」を純粋に楽しみながら生きていれば、
大きく間違うことはないだろう。
肩肘張らずに、自然体でいこう。
明日は明日の風が吹く。