【人生論】「ただ生きる」のではなく「善く生きる」ことを意識する
私たち人間は、
どのように生きるべきなのか?
どう生きれば、幸せになれるのだろうか?
尽きることのない疑問である。
最近、その疑問に対する「ヒント」になるようなソクラテスの名言と出会い、
大きな感銘を受けたので、今回はこの名言を紐解いていきたい。
「最も大切にしなければならないのは、
ただ生きることではなくて、善く生きることである」ソクラテス
ただ生きるのではなく、善く生きる
「善く生きる」
示唆に富んだ言葉である。
ここで、あなたにとって「善く生きる」とは何なのか、少し時間をかけて考えてみてほしい。
人によっては、
「正々堂々と胸を張って生きること」
「格好良く生きること」
「清く正しく生きること」
「品格をもって生きること」
「美しく生きること」
「人助けの精神をもって生きること」
人それぞれ、色んな言葉で表現することが出来るかと思う。
それらは全て正しい。
そして、それらの「生き方」の本質を辿って行くと、こういった結論に帰結するのではないか。
「善く生きること」とは「善い自分を創ること」である
ソクラテスは、
人間にとって大切なことは「どれだけ生きるか」ではなく、「いかに生きるか」であり、「私たちはただ生きることではなく、善く生きることこそ最も大切にしなければならない」と述べた。
ソクラテスは、善く生きることは「正しく生きること」であり、他人の生命や物を奪うような「不正」を決して行わない事だと説いた。
世の中には、他人を騙したり、蹴落としたり、出し抜いたりしてまで、ひたすら利己的に「自分の利益」や「欲望」の為に不正を行い、それで何かを得て「自分は幸福になった」と思い込んでいる人が少なくない。
ソクラテスは「真の幸福とは、ただ己の欲望を満たすことではなく、人間らしい【正しく健やかな魂をもって生きること】そのものにある」と考えた。
そして、人間の魂は「徳」という存在があってこそ「優れた働き」が生み出されると考えた。
人はそれぞれ、自らの魂に「知恵」「慈しみ」「愛」「勇気」「節制」「正義」などの「徳」を備えることが大切であり、自らの魂に「徳」が備わり「優れた働き」が出来る様に、常に心配りすることを忘れてはならない。(その生涯を通じて、人間の普遍的な「善い生き方」を探求したソクラテスは、「倫理学の創始者」と呼ばれている)
「無知の知」を意識して生きる
ソクラテスは、知らないことを知っていると思い込んでいたり、表面的な知識を得て優越感に浸る人間よりも「無知の知」つまり、自分の無知を自覚し、自分にとって何が大切であるかを謙虚に問い続ける者こそが、本当の意味で「知恵のある人間」であると考えた。
また、自分の魂を優れたものにするためには、何が「善」であり、何が「悪」なのかについて判断する為の、正しい「知(知識)」が必要であるとした。
そして善・悪についての「知」を身に付ければ、必然的に魂は優れたものになり「徳」が実現されると考えた。
このような「徳についての知恵」が、人間を正しい行動へと導く指針となる。
そのソクラテスの信念は「徳は知なり(知徳合一)」と呼ばれる。
つまり、
『善悪を判断できる「知」を持つこと=「徳」を持つこと』だと考えたのである。
ソクラテスの「徳は知なり(知徳合一)」の考え方でいうと「悪い」ということを知りながら悪いことをする人はおらず、本当の意味でそれを「悪いこと」だと知らないからだということになる。
私達は、常に「無知の知」を自覚し、善悪を判断する「知」を持つ様に心がける必要がある。
それが「善い自分を創ること」になり、「善く生きること」に繋がるのだ、と。
人生、ただ漫然と動物のように生きるのではなく、より善く生きようとする「姿勢」が大切である。
「向上心」があってこそ人間なのだ。
別に「大きな目標を立てなければいけない」
「大きな事を成し遂げなければならない」ということではなく、
「より善く生きる為の向上心」である。
それを持つことが「幸せな人生」に繋がっていくのではないだろうか?
明日は明日の風が吹く。