「ロバのパン屋」廃業の危機に想う【消えゆく昭和の面影】
ある日Twitterを見ていると、
衝撃的なニュースが飛び込んできた。
【後継者募集】昭和36年から熊本で「ロバのパン屋」を経営してきた谷秀夫さんが、首の骨折で入退院を繰り返し、閉店することに。蒸し器やワゴン車などがまだ使える状態で「本当はまだ続けたいところ。希望する人がいれば引き継ぎたい」とのこと。https://t.co/kT4yCawp83 pic.twitter.com/DehXVdSi2m
— ほいじんが (@garaguda) 2017年7月30日
「ロバのパン屋」が廃業危機!?
「ロバのパン屋って何だい?」という人も多いかと思う。
「ロバのパン屋」
ロバのパン屋(ロバのパンや)とは、昭和のはじめから、日本でロバあるいは馬に馬車を牽かせて街なかを移動しながら売られたパン屋のことである。 日本が高度経済成長を迎えると馬車による販売形態は姿を消し、自動車による販売に切り替えられた。
(Wikipediaより)
「ロバのパン屋」ホームページ
ロバに引かせた馬車で、
美味しい「蒸しパン」や「みたらし団子」を販売するというスタイル。
昔は蓄音機でロバのパン屋のテーマソングである「パン売りのロバさん」を流しながら、
街中を移動していたそうな。
昭和30年代には、
ロバのパン屋は、全国にチェーン店を150店舗以上も抱えるまでに成長したが、
高度経済成長期に入ると、徐々に衰退していった。
その頃には、移動販売車での営業になっていたが、
テーマソングの「パン売りのロバさん」は、
相変わらずカセットステレオから流れていた。
(嗚呼、懐かしい・・・・・)
ロバのパン屋のメニュー
他では食べられない、
良い意味での「駄菓子感」を醸し出しながら、
唯一無二の美味しさを誇る「みたらし団子」
私は、特にみたらし団子が好きな訳ではないが、
ロバのパン屋のみたらし団子は大好きだった。
そして看板商品である、
18種類以上の無添加手作りの「蒸しパン」
私は特に、カスタードクリームと黒糖あんが好きだったと記憶している。
食べると心がホッとするような、優しい味だった。
(嗚呼、今すぐ食べたい・・・・)
私が小学生の頃の時点で、すでにロバのパン屋は世間から消えつつあった。
高槻市の祖父母の家に行った時に、近所の公園で遊んでいると、
運が良ければ遭遇することが出来た。
「ロバのあんぱんチンカラリン♪」というフレーズが遠くから聞こえてくると、
一緒に遊んでいた歳上の親戚にねだり、蒸しパンを買ってもらった。
私にとってロバのパン屋は、
子供の頃の、純粋で幸せな記憶を呼び覚ましてくれる、
「原風景」である。
ロバのパン屋は、一体どこへ…
大人になってから、数回ほどロバのパン屋と遭遇する機会があったが、
あの曲が流れてくるのを察知した瞬間、
まるで生き別れた家族と再開したような感極まった表情で小銭を握りしめながら全力でダッシュし、
蒸しパンを大人買いした記憶がある。
しかし残念ながら、
関西圏では、もうロバのパン屋を見ることは出来ない。
京都にあった本部は岐阜県に移り、
全国に数店舗ほどで、細々と営業をしているようだ。
(2018.3月追記 京都でも販売が再開されているそうだ)
その一角の、熊本のロバのパン屋が閉店危機に陥っている。
店主の健康面での廃業なので、希望する人がいれば
引き継がせてもらえるそうだ。
どうか、後継者が現れてくれることを切に願う。
ロバのパン屋がなくなることは、
私にとって、1つの零細企業が廃業すること以上の意味を持つ。
昭和の面影、もうこの世にはいない祖父母の思い出、
高槻の祖父母の家でのひととき、
祖母の作ってくれた料理の味、
家の前にあったゲームセンターに通った記憶、
その全てが遠くの彼方に行ってしまうような気がしている。
長い歴史のあるものがこの世から消えてしまう時、
そこに包摂された「非言語の情報」「文化」も消えてしまう。
それを「時代の香り」や「風情」と呼ぶ人もいる。
もう一度、あの蒸しパンを食べてみたい。
ロバのパン屋よ、永遠なれ・・・・!
明日は明日の風が吹く。