陰キャ専門ビジネスコーチ

吹田のラーメン屋「牛肉ラーメン ちゃん」のマスターとの思い出

WRITER
 
ちゃん,牛肉ラーメン
この記事を書いている人 - WRITER -
「仕事で結果を出すスキル」「無敵の人間関係を創る技術」「ストレスリーのマインドセット」「自分の能力を発揮する技術」を教える専門家。「職場性ストレス」の第一人者。自身も元国営企業に17年間在籍。派閥や忖度が横行する弱肉強食の世界で、異例の若さで管理職に昇進。300人以上の部下をマネジメントし、あらゆる「仕事のトラブル」「人間関係の問題」を解決してきた経験を持つ。活動開始から5年間で様々な業種の会社員/管理職、起業家、経営者、コーチ/カウンセラーなど約500名をコーチング、1500人以上にサポートを行う。コーチングの世界的権威から学んだメソッドと、自身の壮絶な人生経験に裏打ちされたコーチング技術は、社会人が抱える悩みや問題を解消し「現実の成功/内面の成長」を掴む技術として定評がある。
詳しいプロフィールはこちら

私が18歳の頃から通っていた、

「牛肉ラーメン ちゃん」というラーメン屋があった。

地元の吹田商店街にある、

カウンターのみ、8人で満席になるような小さなお店だった。

 

そこのマスターとは仲良しで、私が20代の頃は、

私と友人とマスターの3人で店でグダグダと長話をすることも多かった。

一人で食べ過ぎて、
「それ以上食うな」と心配されて止められたこともあった笑

 

私は「ちゃん」のらーめんが大好きだった。

ここのラーメンはどこにもない味で、

スープは豚骨と鶏ガラをベースにしつつ、

台湾の調味料や紹興酒を隠し味に入れたり、

八角など珍しいスパイスを使ったりしていた。

個人的には、濃いめスープの「肉もやしラーメン」が大好きで、

いつもチャーハンとセットで食べていた。

 

マスターはわりと飄々とした佇まいで、

「酒とタバコとパチンコとゲームさえあればいい」みたいな人だったが、笑

ラーメンに対しては本気でこだわり、常にレシピの改良を続けるのを見てきた。

 

地元で長く、多くのお客さんから愛されてきた店だったが、

5年くらい前、マスターが体を壊して店を畳んでしまった。

最後に店に行ったのは、その数ヶ月前、私が起業してすぐの頃だったと思う。

 

ちゃんが閉店してラーメンが食べられなくなってから、

「なんとか、ちゃんのラーメンを復活できないか」

と考えていた。

 

ずっと前から、マスターが

「いつでもラーメンの作り方教えてあげるよ」と言ってくれていたのだ。

実は会社員時代、飲食店をやろうと本気で動いていた時期があった。

大阪市の飲食店開業プログラムを受講したり、

そこの卒業生の方のお店でバイトさせてもらって接客の経験を積んだりもしていた。

 

コロナ禍が終わって、空き物件が多い今がチャンスかもしれない。

居抜きで安く始めるなら店を出せるかもしれない。

私が店に立つのは本業があるので無理だが、人材確保の心当たりはある。

思い立った私はマスターに連絡をとって、5年ぶりに会いに行った。

 

マスターが一人暮らしをしている自宅を訪ね、再会を果たした。

恰幅の良かったマスターは、かなり痩せていた。

「長年の酒とタバコが原因で人工透析を受けている」とのことだった。

しかし、それを喋りながら目の前でタバコを吸っていた。笑

 

近況報告など、積もる話をしながら、

マスターからラーメンのレシピを教えてもらった。

ラーメンに添えられる牛肉は燻製で、2週間かけて作っていたのを初めて知った。

レシピをはじめ、塩や食材の指定、当時仕入れていた製麺所の名前まで教えてもらった。

それを聞きながら、真剣にノートにメモった。

しかし、それをどう作ったらいいかはサッパリわからなかった。笑

 

私「実際に作るところを見せてもらわないと無理ですね」

マスター「店出す時になったら行くから連絡して」

私「よろしくお願いします」

 

その10日後、マスターから

「入院することになった」と連絡が来た。

 

私「また暴飲暴食したんですか?気をつけてくださいね」

マスター「大丈夫!死にはしないから」

 

そこから2週間ほど経った頃、マスターのLINEから連絡が来た。

 

「娘です」

 

それを見た瞬間、祈るような気持ちになった。

 

「お父さん亡くなりました」

 

マスター…

そうか。お疲れさま。

今までありがとう。

 

間に合わなかった。

ちゃんのラーメンは、この世界から失われてしまった。

 

娘さんに詳しい状況を聞いた。

あれから、退院はしていた。

21日まで連絡はついていたが、それ以降連絡がつかなくなり、

24日に知り合いが心配して自宅に行ってみると、 亡くなっていたそうだ。

 

結局、マスターは

5年ぶりの再会から1ヶ月で旅立ってしまった。

ただ、再会できたことは良かったと思う。

本当に良かった。

 

マスターとの出会いは、

私の人生において少なくない意味を持ったご縁だった。

・18歳の私

・会社員時代の私

・起業してすぐの私

全部マスターは見ている。

 

特に、18〜20代の頃は、私にとって辛い時期だった。

そんな中でも、

1杯のラーメンと、あの店と、マスターが、

私に一時の「心の豊かさ」を与えてくれた。

 

牛肉ラーメン,ちゃん,吹田

 

「死」が、生きることの尊さを教えてくれる。

今、私は全力で生きているだろうか?

自分の人生と、誠実に向き合っているだろうか?

 

私は「マスターの死」を、自分の人生の糧にすることを誓った。

人は、永遠に生きることはできない。

私の人生も、いつ終わるかはわからない。

だが、生きている限りは、

マスターの分も本気で生きようと決めた。

 

私には、まだやることがある。

人生をかけて成し遂げたいことがある。

 

また、マスターと再会する時まで、

全力で生きようと思う。 

 

 

この記事を書いている人 - WRITER -
「仕事で結果を出すスキル」「無敵の人間関係を創る技術」「ストレスリーのマインドセット」「自分の能力を発揮する技術」を教える専門家。「職場性ストレス」の第一人者。自身も元国営企業に17年間在籍。派閥や忖度が横行する弱肉強食の世界で、異例の若さで管理職に昇進。300人以上の部下をマネジメントし、あらゆる「仕事のトラブル」「人間関係の問題」を解決してきた経験を持つ。活動開始から5年間で様々な業種の会社員/管理職、起業家、経営者、コーチ/カウンセラーなど約500名をコーチング、1500人以上にサポートを行う。コーチングの世界的権威から学んだメソッドと、自身の壮絶な人生経験に裏打ちされたコーチング技術は、社会人が抱える悩みや問題を解消し「現実の成功/内面の成長」を掴む技術として定評がある。
詳しいプロフィールはこちら

Comment

  1. いわ より:

    はっきりと場所を覚えてます。
    商店街の、入り口のとこ。
    あの、ラーメンほんとに美味かったし、
    ふと店の、名前を検索したらこのブログを見つけました。
    私はいまは、吹田市にいませんが
    良い思い出

    • 木下空 より:

      いわさん
      コメントありがとうございます。
      何か、マスターとの思い出を残したくて、
      勢いで書いてしまいました。
      見つけてくださり、ありがとうございます(^^)

コメントや感想はこちら

Copyright© 木下空 公式サイト , 2023 All Rights Reserved.