【自分自身に片を付けよう】人生には「戦い時」もある

トレーナーとして活動していると、
色々な方と出会う機会がある。
必然的に、
自分が生きてきた「人生の話」をする機会が増えた。
すると、多くの人から、
「木下さんは強いですね」
「木下さんはストイックですね」
などと言われるようになった。
それはまぁ、嬉しい。
だが、中には、
「あなたが凄いから出来たんですよ」という人もいる。
そういった言葉には正直、違和感を感じる。
自慢じゃないが、
高卒で、元引きこもりの人間ですよ(本当に自慢にならんな・・・)
人生で一番楽しいはずの10代後半〜20代半ばの時期に鬱病で、
他人とまともに会話もできなかった人間ですよ。
当時は、家庭内の雰囲気も最悪で、家族とも精神的に断絶していたし、
20歳で既に、尋常じゃないストレスによる白髪だらけで、
毎日自殺することを考えながら、
今振り返ってもゾッとするような「負け犬人生」を送ってきた人間ですよ。
でも、
ある時、本当に惨めな、心が引き裂かれるような思いをして、
「もう、こんな惨めな思いはたくさんだ!」と心が叫び、
どん底から足掻いて、這い上がって来ただけ。
海で溺れた人間が、本能的に助かろうと足掻くように。
自分という人間に誇れるものがあるとすれば、
その「人生の振り幅の大きさ」「土壇場でのしぶとさ」かもしれない。
そして、とことん惨めで弱い人間だったから、
今、そういった人達の気持ちに寄り添うことができる。
しょうもない「ありのまま」で生きたくなかった。
「ありのまま」なんて言葉に逃げたくなかった。
私が、もし「ありのまま」で生きてたら、今も家に引きこもっていただろう。
「このままじゃ、もうどうにもならない」
人生、時には「危機感」も必要だ。
とにかく、
自分の限界を突破したかった。
「自分の想像を超えるレベル」で成長したかった。
一度は諦めた人生を、この手で奪還したかった。
それはある意味、
「このまま惨めに死んでたまるか」という、
純粋な「怒り」や「渇望」だったのかもしれない。
「俺にだって、幸せになる権利があるんだ!」
そういった「怒り」である。
「お前なんて大した存在じゃない」
歪んだ「したり顔」で、
そんなメッセージを投げかけてくる相手と対峙する覚悟。
もちろん、今の私であれば、
そんな相手が現れたら余裕で受け流すだろう。
ただ、人生のある時期に
「自分が望むものを勝ち取る為に戦った経験」もまた、
必要なものだったのだなと、今振り返ってみて思う。
人生には「戦い時」がある。
今思えば、
自分の「惨めな人生」に決着を付けるための
「復讐」だったのかもしれない。
全ての過去を清算し、片を付けた今、そう思う。
「復讐心」も、
それが自分の「人生の権利」を勝ち取る為の「純粋」なものであれば、大きな力になり得る。
誰かを蹴落とすような「復讐」ではない。
「惨めな自分の人生に片を付ける」為の聖戦である。
「人は変われる」
私の中では、当たり前の「前提」である。
そして、
私自身がその「証明」であり続けるから、
私のコーチングはリアルに伝わるものなのだ。
明日は明日の風が吹く。