「過ちを犯した人を叩き潰す社会」を変える為にできること
先日、コンビニでレジ待ちをしていた。
レジには4人ほど並んでいて、
私の前には50代後半位のスーツのオッチャンがいた。
男性店員が1人でレジを対応していたが、
近くで別の女性店員が、レジを見ることもなく飲料エリアの清掃をしていた。
「あらら、レジお願いしますって声かけようかな」 と数秒迷っていると、
スーツのオッチャンが怒鳴った。
「おい!客が並んでるんやから、レジ打たんかい!」
女性店員はハッとして、慌ててレジに入った。
苦悶を押し殺したような表情をしていた。
ものすごく殺伐とした雰囲気がコンビニに漂う。
この社会の「閉塞感」をつくっている原因
私は思った。
「うん。オッチャン、その気持ちすごくわかるよ。 でもな、そのやり方には先がない」
「今まで、この国のみんながそういうことをやったから、人の過ちを怒りで叩いたから、 今こういう息苦しい社会になってるんだよ。 その時だけはいいかもしれないけど、 みんながそれをやり続けたから、 こんな世の中になったんだよ。
社会の【空気】をつくるのは人なんだ。
この社会の空気をつくったのは、 今この社会を生きている人たち全員なんだ。
他人事じゃないんだ、誰かのせいでもないんだ。 みんなの責任なんだ」
そしてオッチャン。
あんたが他人の「小さな過ち」を許す余裕がないのも、あんたも「小さな過ち」を許されずに叩かれたからなんだよな。
見たらわかるよ。我慢してきた人間の顔してるな。
しんどいよな。この社会。
じゃ、どうすればいいか?
まず自分から止めるしかないんだ。
この「負の連鎖」を。
目に前の誰かが過ちを犯した時、
相手に差し出す手を
叩きのめすための「拳」で出すのか?
それとも、
相手の手を取り立ち直らせるための「平手」で出すのか?
私達一人一人が、その「選択」に責任を持つ。
今、自分が「負の連鎖」を止める。
それしかない。
「過ちを犯した人を叩き潰す社会」を終わらせる
西野亮廣さんが、8年がかりで作った映画「えんとつ町のプペル」が公開された。 壇上の挨拶で彼はこう言った。
「夢を語れば叩かれる世界を終わらせに来た」
彼自身が徹底的に叩かれた経験があるから、 この言葉が人の心に響く。
「絶望」から使命が生まれる
そして、私の使命は
「自分を諦めて生きる人を世界からなくす」である。
高校3年生の時に、クラスメートの心ない言葉を受け続け、
重度のうつ病ひきこもりになり、 そこで自分を完全に諦めた。
だが、最後はそこから歯を食いしばって立ち上がった。
うつ病を治すまでに10年かかった。
常軌を逸するほどの自己研鑽に取り組み続けた。
そこで得た実力を人に使うことが、私の使命だ。
5年前に自分自身がそう決めた。
私は起業してそれなりの成功を収めてきたが、
結局気付いたことは「私が追い求めること、目指すことは 一人では到底成し得ない」だった。
ただ、実力だけは付けてきた。
来年は世に出る。そして 多くの人を巻き込む。
誰も望まない、この息苦しい世界を変える。
明日は明日の風が吹く。