17年間いた会社を退職し、1ヶ月経って「感じたこと」
私が17年間在籍した元国営企業を退職し、1ヶ月が過ぎた。
この1ヶ月間の間に、色々と感じたことがあったので、
自分の備忘録も兼ねて、ブログに書いておこうと思う。
まず、11月の末日の勤務を以って、私は会社を退職した。
終業時刻を迎え「私の17年間のサラリーマン人生」は終わった。
最後、私に対して「頑張ってね」と言ってくれた人もいたし、
「苦虫を噛み潰したような表情」を手向けてくれた人もいた。
自分が辞めたくてたまらない、でも怖くて辞められない。
そんな状況の中、目の前で辞めて行く人間に対して、
複雑な思いを抱いてしまうことは理解できる。
人間は「感情の生き物」なのだから。
「どうして辞めるの?出世もしたのにもったいない」
常日頃「辞めたい」と言う人達も、本当に辞める人間に対してはこんなことを言う。
(いや、あなた「会社を辞めたい辞めたい」って言ってたじゃないですか・・・)
そう言いたくなるのをこらえ、笑顔で返事をしておいた。
その後、ロッカーを整理し、セキュリティカードや制服等を事務所で返却した。
何の因果か、最後の送り迎え(ゲートを出るためにセキュリティカードが必要なので、見送りが必要だった)の人間が、
「最近仕事のストレスで、メンタルが変調気味な人」のNさんだった。
目の下のクマが、異常に目立って来ている。
おそらく、ストレスから来る不眠症だろう。
本来なら同情すべきことであるが、
彼は「周囲に悪意をぶつけることで自分を保つ」という行動に出ていたので、
誰も彼をサポートしようとはしなかった。
ゲートを出る直前、せっかくなので彼に、
「もっと会社の人を助けてあげてください。あなたの立場なら、それができるはずです」
と言ってみたのだが、
機械的に「ハイ、ハイ」と返事が返って来た。
心に届いた様子はなかった。
自業自得とはいえ、彼の人生の行く末を考えると、暗い気持ちになった。
会社の駐輪場に行き、自転車を漕ぎ出した。
会社のビルが見える。
もう、あそこに行くことはない。
セキュリティカードがないので、入ることもできない。
自転車で、慣れ親しんだ通勤経路を通って行く。
不思議な気分だ。
呆気ないと言うか、なんというか・・・。
自宅に到着し、ドアを開けて帰宅した。
正直、事前の予想では「感情がブワーッと溢れ出したりするのかな?」
とか思っていたのだが、超が付く位、淡々としていた。
「17年間、お疲れさん」
自分に乾杯し、缶ビールを飲んで寝た。
で、2〜3日はゆっくり過ごそうと思っていたら、
いきなりマイコプラズマ肺炎で寝込んでしまった。
心身ともに、疲れが溜まっていたのだろう。
1週間ほど体調が悪かったが、予定は全てこなした。
体調が回復した辺りで、重大な事に気付いた。
私は今の自宅(賃貸マンション)に13年ほど住んでいるのだが、
この家にいると、何か会社を辞めた気がしないのである。
もちろん、17年間同じような生活をしていたのだから、
「意識の変化」が追い付いていないのもあるのだろうが、
「ちょっと年休を使って、まとまった休暇を取っている」ような感覚から抜け出せない。
会社員時代と同じ家にいることで、意識が引き戻されるような感覚。
サラリーマン生活と共にあったこの家にいる限り、
自分の意識を変えることは難しいと気付いた。
直感で「これはマズい」と感じたので、
当初予定になかった引越しの準備を始めた。
私のメンターが「会社を辞めたらすぐに引っ越せ」
と言っていたが「こういうことか・・・」と腑に落ちた。
もしあなたが会社を辞めて、新しいチャレンジをしようと思うのなら、
会社を辞める直前に、引越しの手続きを済ませておくことをお勧めする。
会社員のうちに引っ越すことは簡単だが、
会社を辞めてから引っ越すのはハードルが高い。
会社員であることは、安定的かつ継続的な収入があることの証明であり、
「社会的な信用が高いこと」を意味する。
できれば、クレジットカード等も作っておくと良いだろう。
そこから、色々な手続きや雑用、勉強、人と会う用事等、
忙しく動き回っていたのだが、何か「自分の状態」がおかしい。
「パワー」が落ちている。どこか、テンションが落ちている。
何故か?
考えてみて、一つの結論に達した。
自分のエネルギーの大半を投入していた「仕事」がなくなったことで、
「張り合いがなくなった」のだ。
「定年退職した人が、一気に老け込む」のと同じである。
以前、私が信頼している方が「会社を辞めると、一時的にパワーが落ちるよ」
と言っていたのだが、
「ああ、こういうことか」と、体感することができた。
面白い・・・。
「実際に体験してみて、初めてわかること」がある。
だから「体験すること」が大切なのだ。
「会社を辞めると、自由になれる」
会社員時代は、そう思いがちである。
確かに「自由」は素晴らしい。
ただ「自由」は広すぎる。
自分の人生、生活の「枠組み」から自分で計画し、自己管理する必要がある。
会社員時代のように、何も考えずにルーティンワークで生活することはできない。
「自由という大海」を泳ぐには、それなりの覚悟が必要である。
このように、1ヶ月間の間に、
自分でも意外な「意識や心境の変化」があったが、
一方で「これは、好転反応みたいなものなんだろう」とも感じている。
自分で言うのも何だが、
「最高のタイミング」で辞めたと思っている。
「準備の12月」を終え、
私の「激動の2016年」を締めくくる。
2017年は「未知の領域」に挑む1年になる。
ただ「そこに躊躇なく飛び込める位の経験はしてきた」という自負がある。
「今の自分なら、やれる」
勇気を持って、道を切り拓く。