「目的」を探し続けることで、見えてくるものがある
この日本という国で、
サラリーマンとして、日々代わり映えのしない生活を送っていると、
つい忘れてしまいがちな事がある。
「人生」というものの広大さに。
想像してみてほしい。
見渡す限り水平線が広がる大海原の中心に、
あなたが漕ぐ小さな船がポツンと浮いている。
あなたは、どこに向かってもいい。
ただ、あまりにも広すぎて、自由であるがゆえに、
「どこに向かって行けば良いのか、わからないんです。」
「どうやって生きていけば良いのか、わからないんです。」
と、不安になる人々が世の中には溢れている。
以前、当ブログの
にも書いたが、広すぎる人生を進むには「目的」が必要である。
目的があると、その目的地に辿り着くための「方向性」が見えてくる。
広すぎる人生に目的という「枠組み」を作る事で、
それに則した「生き方」をデザインすることができる。
自分のパワーを集中するために、敢えて「制約」を作る。
何もない混沌とした世界に「秩序」をもたらすこと。
ただ、人によっては、
「目的なんて持たなくていい」という考えもあるし、
「毎日が楽しければそれでいい」という考えもある。
もちろん、それでも構わない。
要は、あなたがあなたの人生を、後悔することなく幸せに生きられたら、
それでいいのである。
ただ、世の中を見渡してみると、目的を持たない人は、
ただ、受け身で流されて生きていることが多いように感じる。
自分のやりたくない事や、意味のない事に巻き込まれ、
人生の潮の流れに、なす術なく流され、あてもなく漂う人生。
自分の「人生の舵」を、自分以外の何かに委ねてしまう人生。
しかし、中にはそうではない人もいる。
その違いは、何によってもたらされるのか?
私が考察の末に出した結論は、
しっかりとした「自分の軸」を持っている人は、
目的がなくても、自分らしく生きることができる。
「自分の軸」のない人間が目的を持たずに生きると、
只々、周囲の都合に流され、翻弄されて生きることになる。
「目的を持ちたいけれど、何もないんです。」
そういった人も多い。
そんな時は、ひとまず
『目的を探すという「目的」』を持てばいい。
そうやって色々と模索していく中で、
例えば「目的は見えないが、やっていく中で振り返ると、
その背後にある目的が見えてくること」もある。
最後まで目的がわからなかったという行為でも、
自分に満足感があれば、それはそれで重要なことであり、
次に向かうステップ、自信に繋がることもあるだろう。
一見「目的のない行為」のようでも、
人は、何かしらの「意図」があってやっている。
束の間の「現実逃避」という目的であったり(時には必要なこともある)、
楽しい気分であったり、気持ち良くなりたいからやっている。
しかし、それも小さな「目的」なのである。
「目的」は、別に壮大なものである必要はない。
小さな目的を一つづつクリアしていくと、
やがてその先にある「真の目的」が見付かるかもしれない。
「目的」が明確であれば、
「これは必要だな」
「これは横道に逸れる行為だな」
「これは関係ないな」
「これは断った方が良いだろう」
という「取捨選択」ができる。
何か行動を起こす際に、その行動が「自分の目的と合致するか」を考える。
必然的に無駄を省き、自己実現を達成するスピードが早まる。
そして、大前提として「目的を達成するために必要なもの」は、
「自分の人生を自立的に生きる意識」である。
目的地に辿り着くために「自分の人生の舵」を、自分の手で取る。
そして、それこそが「目的を持つこと」の最大の恩恵であるといえる。
結局「自分の人生の舵を、自分以外の何かに委ねる人生」の最後に待っているのは、
「後悔」という名の砂漠なのだから。
明日は明日の風が吹く。