【書を捨てよ、町へ出よう】「人生に迷ったとき」にすべきこと
もう昔になるが、寺山修司(1935ー1983)という一人の男がいた。
「言葉の錬金術師」と呼ばれた詩人、劇作家、映画監督である。
彼の遺した作品は、今もなお若者を中心に、熱狂的な支持を生み出し続けている。
今でも、彼の「この言葉」を、ふと思い出す時がある。
【書を捨てよ、町へ出よう】
示唆に富んだ言葉だ。
人生に迷った時、この言葉が指針となるかもしれない。
寺山修司は、こう言っている。
「若い人達は、あんまり本にばかり齧り付いてないで、つまり、街はもう書物なんだから」
「看板とか人の顔とか、電車の速度とか、そういうもの全部が書物なんだから」
今の時代だと、
「本」を「インターネット」に置き換えた方がシックリ来るかもしれない。
「ネットを捨てよ、街へ出よう」
実際、寺山自身も、
「でも最近は、今度は逆に皆漫画ばかり読んでて、書物を読まなくなった。もうね、本を読めって言いたいね」と言っている。笑
「ネットの世界」は、現実と虚構が入り混じった世界である。
そこにどっぷりとハマり、頭でっかちになってしまい、
なんでも知ったような気になったり、
ネットの「虚構の側面」に踊らされる人もいる。
例えば、
韓国に行ったことのない人が、
ネットの偏った掲示板の情報を根拠に、訳知り顔で韓国を叩く。
滑稽である。
芸能人のゴシップネタを、
いかにも「情報通」といった風に語る人もいる。
本当のところは「当人」にしか分からないのに。
お笑い芸人で、ネット上で「殺人事件に関わっていた」という、
「根も葉もないウソ」を拡散された方がいた。
彼は、何年も「この人殺し!」とネット上で責められ続けた。
彼をネット上で叩いていた人間達は、最後には逮捕された。
動機は「ネットにそう書かれていたから」だったそうだ。
インターネットが登場した時は、
この世の情報が全て明確化され、もっと公正な世界になるだろうと、
誰もが思ったはずだ。
実際、その可能性は今も残っている。
しかし現状は、村社会レベルの「噂」が飛び交うような、
そして、その噂を多くの人が信じてしまうという、
何か、人間の想念が生み出した「不透明で巨大な渦」と呼べるようなものを形成している。
そこに巻き込まれ、流されない為には、
情報をしっかり取捨選択する「情報リテラシー」と、
自分の足で立って生きる、つまり「自立心」が大切である。
自立心を養う為には、どうしたら良いだろう?
「書を捨てて街へ出ること」だ。
「経験」に勝るものはない
経験して、自分で体感すること。
迷ったら、家から外に出てみよう。
成長は「出会い」の中にしかないのだから。
明日は明日の風が吹く。
街は演劇になりたがっている
寺山修司