私が管理職になった時の「強烈な挫折体験」

今日、とあるワークショップに参加した際、
サラリーマン時代のことを振り返る機会があった。
今回は、私が管理職になった時の「強烈な挫折体験」についてお話ししよう。
私が34歳で管理職に昇進した時、ある大きな決意を持っていた。
「自分が、この腐敗し切った体質の会社を変える」という決意である。
世間並みの会社レベルに近付きたい、少しでも良くしたいという思いだった。
そもそも、私が20歳の時に入社した時点で、この会社はめちゃくちゃだった。
元々が国営企業だったので、未だに「親方日の丸」的な体質を引きずっていて、
上層部は本体から島流し(出向)されてきた、人間的に問題のある人間の巣窟。
入ってくる契約社員は、40代から60代の人生で挫折を繰り返してきて、
自分の人生を諦めているような人間が多かった。
中間管理職は、自分だけ良い思いが出来たらそれで良いと考えているような、
清々しいまでに利己的な人間ばかり上がって行った。
そんな感じだったから、会社の状況もどんどん悪くなって行った。
「正直者がバカを見る」「悪貨が良貨を駆逐する」
そういった企業風土の会社だった。
ここまで全社員が辞めたがっていた会社を、私は知らない。
ただ、当時の私には「プロパーとしての責任」があると思っていた。
二十歳で入社して、ベテランの先輩から「お前達の世代が上に上がったら、
会社を良くしてくれ」と言われて育ったのだ。
私は、真正面から戦いを挑んだ。
今考えると、相当な馬鹿である。
一人だけで張り切っても、何が出来るわけでもない。
当時の私が、何を考えていたか。
それは「自分は正義で、正しいことをしている」
という、視野の狭い猪突猛進的な思いだった。
「正義」だから、やる気のない人間や、手を抜く人間を「悪」とみなし、
攻撃し、否定し、恫喝した。
無理矢理にでも、言うことを聞かせようとした。
必然的に、多くの人間から恨みを買った。
それが「恨み」だろうが「逆恨み」だろうが、あまり関係ない。
私がふるっていたのは「正義という名の暴力」だった。
「社会人なら常識的に振る舞うのが当たり前」
「会社のルールは全部守って当たり前」
「仕事はキッチリやるのが当たり前」
それは「正論」ではある。
だが世の中は「正論」だけで動いていない。
そんな簡単な話であれば、誰も人間関係で悩んだりしないだろう。
目的が「会社を良くする」なのに、
他人を否定し、攻撃ばかりしていたら、
一体何が良くなるのだろう。
他人を否定して、何が良くなるのだろう。
私自身も、そんな戦いを続ける内に疲弊していった。
「自分は正しいことをしているはずなのに、どうしてこんなに憎まれないといけないんだろう」
「自分は正しいことをしているはずなのに、どうしてこんなに後味が悪いんだろう」
「自分は正しいことをしているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう」
世の中を見渡して見ると、
多くの人が、当時の私と同じ過ちを犯していると感じる。
それで悩んでいる人が多いと感じる。
今の私が言えることは、
「他人を否定すること」からは何も生まれないということ。
そして、あなたの「正義」は、
他の誰かにとっては「悪」になり得るということ。
どんな人間であっても、自分の行動には「正当な理由」があると思っている。
仕事にやる気がない人間にだって、
隙を見付けてはサボるような人間にだって、
当人には、そういった行動に至る「正当な理由」があるのだ。
一番大切なことは「信頼関係」である。
信頼があって、初めて人は「聞く耳」を持つ。
信頼を得るためには「否定」は障害にしかならない。
相手の考えに耳を傾け、それを認めることが出発点である。
どれだけ屁理屈だと感じても、納得できなくても、
しっかり耳を傾ける。
そして「あなたの考えは分かりました」と理解を示すことが大切である。
その上で、あなたの考えを伝え、
興味やメリットを感じてもらえるような提示の仕方をしていくしかない。
「難しい」と感じただろうか?
その通り。管理職は難しい。
だが、何度も痛い目に遭い、試行錯誤し、私は成長することができた。
会社を辞める頃には「問題」は何もなくなっていし、
仕事をしていて楽しかった。
自分が選択したことを、役割を、しっかり果たすことができるようになった。
その経験は今でも、大きな自信になっている。
自分で選んで昇進したのなら、
あなたも、頑張ってやり抜く「覚悟」を持つことをお勧めする。
「どこかに打開策がある」
どんな時もそういった意識を持って、
前向きに取り組んでいきたいものだ。
明日は明日の風が吹く。